キンタンポ周辺遺跡の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 09:59 UTC 版)
「キンタンポ文化」の記事における「キンタンポ周辺遺跡の調査」の解説
1967年から1968年にかけて、キンタンポ周辺地域のキンタンポ文化の厳密な年代と性格について充分に把握する目的からC.Flightがキンタンポ周辺の一般調査と一部の発掘調査を行った。キンタンポ周辺地域は低地の遺跡とは著しく異なり、西側で急な坂になったり険しい崖になったりする砂岩の高台に位置している。降水量は多いため、乾季でも植物が青々としている。C.Flightとその研究グループは、岩陰や洞窟遺跡に注目して調査を行った。それまでキンタンポ周辺地域で発見されていた遺跡は、最初に発見された遺跡のひとつであるJemaとDavisによって発見されたPunpunanoが挙げられるが、いずれもいわゆる開地遺跡 (open site)であって、洞窟遺跡や岩陰遺跡は知られていなかったこと、あと何と言っても洞窟遺跡や岩陰遺跡は動植物の遺存体の残りが良好であることが期待されるためであった。C.Flightとその研究グループの期待は、このような開地遺跡であっても砂岩の岩山の影に立地することが多いと考えられたためことさら未発見の岩陰遺跡や洞窟遺跡があるだろうということであった。その結果K1 - K8と名づけられることになる岩陰遺跡を発見した。K1遺跡は、キンタンポの北方10kmに位置し、Philip Rahtzが1966年にC.Flightが1967年に調査を行った。1967年にはK1遺跡と同じ岩山にある別の三つの岩陰遺跡であるK2 - K4の調査を行った。またキンタンポの南方4kmにある三つの岩陰遺跡、K5 - K7及びキンタンポの西方1kmにある崖にある岩陰遺跡K8の調査も行われた。 また1968年には、K6遺跡の再調査を行い、期待を断然上回る成果を得たので、調査範囲の拡張をおこなった。この第2次調査の大部分については、当時ノースウェスタン大(後にブラウン大に移籍)のPeter Schmidt がC.Flightに協力しておこなった。C.Flightは、キンタンポ文化自身とそれに先行するプンプン(Punpun)相について、6つの放射性炭素年代測定のサンプルから紀元前1450年から同1400年頃で区分できること、そしてキンタンポ文化もプンプン相文化も長くても数世紀くらいしか存続しなかったと推定される。プンプン相文化はキンタンポ地方の三つの遺跡からキンタンポ文化の下層に確認されている。K1遺跡からごくわずかであるがはっきりそれとわかる土器が確認され、K6及びK8遺跡でも廃棄物の堆積層から確認された。そのような堆積層のなかからは、かたつむり類の貝殻、エノキの一種の樹木 (Celtis)の実の殻とさまざまな野生動物の骨が確認されている。
※この「キンタンポ周辺遺跡の調査」の解説は、「キンタンポ文化」の解説の一部です。
「キンタンポ周辺遺跡の調査」を含む「キンタンポ文化」の記事については、「キンタンポ文化」の概要を参照ください。
- キンタンポ周辺遺跡の調査のページへのリンク