キンタンポ文化の遺跡の分布
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 09:59 UTC 版)
「キンタンポ文化」の記事における「キンタンポ文化の遺跡の分布」の解説
キンタンポ文化の遺跡は、全体としては、西方のコートジボワールにまで分布していると考えられるが、台地と低地という地理的な位置によってはっきりとした違いがある。それは出土品の違いにも対応している。台地の遺跡は相対的に濃密に分布しており森林の境界からそれほど離れていないバンダ(Banda)丘陵やキンタンポ周辺で顕著である。また、やや南方で森林地帯に接触する位置にあるボノ・マンソの下層やその周辺の岩陰遺跡でもキンタンポ文化の遺物が発見されている。低地の遺跡はボルタ川流域の比較的木の多く茂る地域に散在的に分布している。 また特殊な例であるがキンタンポからはるか南方のAccra低地でも発見されている。これは、O.Davisが層位的な調査ではなかったものの、海岸に近い低地のChristian Villageで行った調査で発見されたもので1964年に発表された。Christian Villageではたくさんの石やすりと繊維を胎土中に含む独特な文様の土器が共伴して発見された。また、Christian Villageの北東40kmボルタ川の下流に近いSomanyaで石やすりの破片が発見されたことからもうひとつ別の遺跡がある可能性がある。このように海岸に近い低地とはるか北方にはなれたキンタンポ付近の台地に遺跡が分布しているというギャップはいつかは中間的な位置に遺跡が発見され解消されるものと思われる。Afram平原ではキンタンポ文化との関連性を見出すことは困難であり、考古学的にはほとんどわかっていない地域であるが、Lagonの考古局で大きな石やすりの破片がAdiemmiraの村落近くで発見されたという報告があった。このことは、海岸の低地の遺跡とキンタンポ付近の台地の遺跡の中間にあたるAdiemmira付近にもキンタンポ文化の集落が分布していた可能性をうかがわせる唯一の手がかりである。一方、森林地帯でキンタンポ文化の遺跡が発見されていないことは、純粋に遺跡自体がないことを示していると思われる。18世紀のMampongten遺跡やクマシ大学構内遺跡から石やすりの破片が発見されることがあるがいずれも後世の遺跡に偶然まじったものであることが確実である。想定されるキンタンポ文化の範囲外からも偶然に発見されることもあるので、Adiemmira付近のたったひとつの石やすりの破片にあまり期待してはいけないかもしれない。 キンタンポ文化の遺跡の分布についてまとめると、まず森林地帯にはなく、森林の境界付近のそれも高地に集中している。キンタンポから離れて北側へ行くと川の近くに分布している。さらに北方へ行くと遺跡はない。こういった分布状況をキンタンポ文化は森林-サバンナ・モザイク地帯に限定されると表現する研究者がいるが、近現代の植生分布を単純に先史時代の遺跡の分布と重ね合わせられるのかという疑問がついてまわる。これについては、森林地帯からそれほど離れていない場所に生息するローヤルアンテロープの骨、森林よりは比較的開けた場所で栽培されたり自生しているアブラヤシやササゲの種や殻、ほかのアンテロープ類の骨が後述するK6遺跡から発見されているため、気候や植生は現在とあまり変わらなかったと考えられる。
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