キハ21形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:02 UTC 版)
「国鉄キハ20系気動車」の記事における「キハ21形」の解説
キハ20形に耐寒装備を盛り込み、寒地向けとして1957年に製造された形式。計画時にはキハ49200形と称したが、登場が1957年の称号規程改正後となったため、この形式番号を称したことはない。主に北海道および東北地方で運用され、キハ22形も含めて急行列車にも投入された。 キハ20形0番台とは外観上は客用扉下部の明かり窓がないこと以外相似する。寒冷地向けの装備として、客室窓の二重窓化・運転台にデフロスタ設置・床下機器耐寒・耐雪装備を施工した。しかしドア位置はキハ20形と同じでデッキがなく、冬期の客室内温度維持に問題があることが指摘された。そのため1957年に84両が製造されたのみで、翌1958年からは耐寒・耐雪性能が強化された酷寒地向けキハ22形に製造が移行された。 後年に暖房能力の不足を解消するため温気式からキハ22形と同様の温水暖房への改造やドア付近に透明アクリル樹脂と合板の簡易仕切り(片開き扉+パーティションを1車両あたり4か所設置する工事を1975年頃に一部車両で施工した。 1968年に苗穂工場で3両が荷物車兼用(新聞輸送)としてロングシート化され100番台区分へ、1969年に旭川工場で2両がキユニ21形へ改造された。 当初は主に道内各地のほか東北地方などに配置されたが、キハ22形の増備が進むにつれ釧路客貨車区(現・釧路運輸車両所)・苗穂機関区(現・苗穂運転所)・苫小牧機関区(現・苫小牧運転所)・長万部機関区(1993年函館運輸区に統合)・函館機関区(現・函館運輸所)・一ノ関機関区(現・一ノ関運輸区)に集約配置された。 59 - 62・73 - 76は水戸機関区(現・水郡線営業所)に、79・80は千葉気動車区(1975年廃止)に新製配置されてから北海道に転配された。 キハ40形の増備と共に1982年までに運用を離れ、1983年に全車廃車となった。
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