カバノキ樹皮のカヌー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 01:03 UTC 版)
「ウエストバージニアの水運」の記事における「カバノキ樹皮のカヌー」の解説
植民地の公式測量士は大型のカバノキ樹皮のカヌーで川を旅した。多くの歴史家によって、1ダース以上の人がパドルを漕いだと報告されてきた。辺境の医者はしばしば、条約で作られた毛皮集積集落にやってきた。報告書や手紙がこれら船人によってホィーリングのヘンリー砦やピッツバーグのピット砦に運ばれた。1855年にダム建設が始まる前にホィーリングは干魃時に「航行可能な最高部」として知られた。2地点間の道は荷物移動用、後に夜間行動用に使われた。役人は数人の友好的斥候を雇ってヘンリー砦やさらに下流のジョージ・クローガン大佐等がいる小さな交易基地であるカスカスキア砦まで、より早いカヌーで人や物資を運んだ。ブロックハウス(小さな砦)の建材はしばしばフラットボートと呼ばれる筏で運ばれた。 他にも植民地測量士として船でカノーハ川とオハイオ川を航行したのが1774年4月のハンソン大尉だった。カノーハ川にいるときの彼の日誌は以下のとおりである。「16日、エルク川に進む、6マイル。ニュー川の向こう岸にカヌーを発見。フロイド氏と見知らぬ人が狩りに出て行く。我々は彼が戻ったときのためにカヌーを片付ける。1頭の鹿と長さ43インチのカワカマスを仕留める。」「17日、カヌーにグッドホープと名付ける。それに乗って川を9マイル下った。そこで2隻のカヌーを見付けたので上陸する。フィールズ少佐の1隊と出逢う。この人々が、オハイオ川の両岸にインディアンが入っており、戦争を始めるつもりだと教えられる。デラウェア・インディアンが彼らに告げたところでは、ショーニー族はペンシルベニアの人々から略奪し、バージニアの人々は出会い次第殺すつもりだとのこと。我々は彼らと別れ、クラブ川に3マイル進む。」「18日、ワシントン大佐のために、コール川とカノーハ川の間の土地2,000エーカーを測量した。」「19日、ポコタリコ川を低地まで6マイル進む。ホッグ氏が全14マイルを改良している。ホッグ氏はインディアンについて聞いていたことを確認した。かれは13人の人々がオハイオに入植するつもりがあると言った。」「20日、カノーハ川河口まで進む、26マイル。到着したときにそこで26人の様々な人々に出逢う。土地を耕す者がおれば、測量に立ち会う者もいた。インディアンについては同じ話を確認した。一人はインディアンの言葉を話せるので、フロイド氏と他の測量士は同行すれば一月に付き3を申し出たが、彼は断り、頭皮に気を付けるよう言った。」 イロコイ族(タスカローラとミンゴー)はカノーハ川をカーナワ・キーと呼んだが、これは「水路」を意味し、「キー」は接尾辞でカーナワは「船」(カヌー)を意味する名詞である。カホウォともいう。「ウハイユ」はオハイオ川あるいはオハイオ州を意味する名詞である。これは意味論の分野に属している。語頭の「U]は接頭辞、「h」は川、語尾の「iyu」は良い、美しいを示す名詞接尾辞である。文字通りでは「美しい川」となる。
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