カトリック教会の混乱とは? わかりやすく解説

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カトリック教会の混乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)

キリスト教の歴史」の記事における「カトリック教会の混乱」の解説

叙任権闘争以降カトリック教会の中で教皇権世俗王権超越する権威であるという認識強まった教会法エキスパートであり、政治家として有能だった教皇インノケンティウス3世欧州諸王家たくみに駆け引きし、名実ともに教皇権優越性を示すことに成功した。 しかし、フランスイングランドなどで王権伸張すると、この教皇権優越という概念めぐって教皇庁激し争いが行われるようになった具体的に教会財産所有権問題聖職者裁判権司教任命権などが争われた。この状況の中で教皇顧問団であるはずの枢機卿会は出身もしくは結びつきの強い)国家利益代弁者のようになっていき、互いに国益優先して争うことで混乱し教皇庁権威低下させていった枢機卿団内の争い優位にたったのフランスだった。フィリップ4世枢機卿団によって教皇庁コントロールすることに成功ついにはフランス出身教皇クレメンス5世を出すに至った。王の意を受けた教皇フランス以外枢機卿団反対無視して教皇庁フランスアヴィニョン移転古代ユダヤ人強制的にバビロン移されバビロン捕囚にならい、これは「アヴィニョン捕囚」であると非難された。 教皇庁アヴィニョン居座ったことでローマ残っていた枢機卿団は独自の教皇立て、その正統性主張する至った。ここに2人の「正統教皇現れるという事になった事態収拾しようとピサ開かれた教会会議は、ローマアヴィニョン2人教皇廃位宣言して新し教皇ヨハネス23世選出したが、2人廃位認めずそれぞれの支持者集めたため、3人の教皇が立つという異常な事態になったこのような前例のない混乱の中で、教皇権威低下し聖職者たちの中に公会議こそが教会至上決定権を持つべきであるという考え方強まった。これが公会議主義である。その中心人物であった神学者ジャン・ジェルソン神聖ローマ皇帝ジギスムント後ろ盾得て、3教皇問題解決狙ったコンスタンツ公会議開催こぎつけた。この背景には、教会政治強い影響力持ったフランス王へのジギスムント対抗心もあった。 この公会議においてついに3人の教皇退位させることに成功しマルティヌス5世教皇選出したまた、教会抜本的な改革の必要も叫ばれており、コンスタンツ公会議教会改革実施を宣言して閉会した。しかし、コンスタンツ公会議宣言した教会改革結局行われず公会議によって教会変えていくという理想失われていくことが結果的に宗教改革伏線となっていく。

※この「カトリック教会の混乱」の解説は、「キリスト教の歴史」の解説の一部です。
「カトリック教会の混乱」を含む「キリスト教の歴史」の記事については、「キリスト教の歴史」の概要を参照ください。

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