イングランドの華飾式、および垂直式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:27 UTC 版)
「ゴシック建築」の記事における「イングランドの華飾式、および垂直式」の解説
後期において、発展的と呼べるゴシック建築の潮流は、フランス本土ではなくむしろイングランドのゴシック建築であった。イングランドのゴシック建築は、伝統的に3期に分けられる。アーリー・イングリッシュに続き、1290年以降に華飾式または曲線式(decorated gothic)と呼ばれる建築、そして1330年頃から垂直様式(prependicular gothic)と呼ばれる建築が発達した。 イングランドでは、大陸のフライング・バットレスをあまり採用せず、つねに壁の厚さを想起させる意匠を好み、また、多くの場合、湾曲したアプスではなく平たい東端部を採用した。ほっそりしたプロポーションと薄い壁の意匠を意識した例外的な作例は、ウェストミンスター・アビーのほか数えるほどしかない。華飾式の意匠は、このような傾向のなかで形成されたイングランド独自のゴシック建築であった。 1280年から1290年の間に起工されたエクセターの大聖堂は、アーリー・イングリッシュの典型的な平面を持つが、ヴォールトを支える(ように見える)リブは、アーケード柱頭の持ち送りの上から伸びており、身廊立面は垂直に伸びる線的な要素よりも、面的に見える。イングランドでは大きな窓面が好まれたため、この大聖堂でも湾曲したアプスはなく、大きなステンドグラスを持つ平面的な後陣が採用されている。1290年に起工されたヨークの大聖堂(York Minster)、リッチフィールドの大聖堂などは、エクセターと全く同じ構成で、ほとんど同じ印象を受ける イギリスのゴシック建築、国民的様式とされたのが、いわゆる垂直様式である。イングランド南西部とロンドンでほぼ同時期に見られるため、どちらをその起原とするかについては議論がある。あえて直角的構成を採用するなど、大陸のゴシック建築の規範から隔たった概念のもとに形成されているのだが、特にファン・ヴォールトを用いる場合は、天井を支えるのにヴォールトを必要としなかったという点で、すでにゴシック建築ですらない。 1298年に起工し、1341年に完成したブリストルのセント・オーガスティン大聖堂は、バシリカ型ではなく、広間型の平面を持ち、側廊と身廊の高さが同じためクリアストーリが欠如している。従って、内部空間は両者を鮮明に区分することはない。また、ブリストルの建築家たちは、ゴシック建築特有の構成を驚くほど自由に操作し、束ね柱をヴォールトにまで伸ばして、リブ・放射リブ・枝状リブという三段階のヴォールト架構を用いた。側廊の荷重は、簡素な方杖によって横断アーチに渡されておりこれがトンネルのヴールトを形成している。 荷重を方杖によって簡潔に伝達し、これに美的効果をもたらしている最も印象的な例は、ウェルズの大聖堂である。1338年に、交差廊の上部に光塔の建設が計画されたが、この際、塔の荷重を支えるため、交差廊と身廊との間に巨大な方杖が架けられた。その形の奇妙さと大胆さは、大変強い印象を与える。 一方で、ヴォールトに対する自由な発想は、グロスターの大聖堂回廊などにも生かされている。グロスターの回廊はファン・ヴォールト(扇形ヴォールト)を用いており、そこに交差リブヴォールトに覆われたゴシック建築の典型的な構成を見ることは不可能である。垂直様式では、交差リブヴォールトが全く捨てられたわけではなかったが、多くの場合、多数の辻飾りが設けられており、その印象は木々の枝張りに例えられたネット・ヴォールトと変わらないものとなった。垂直様式のリブはヴォールト架構とはもはやなんらの関係性もなく、構造的合理性で説明できるものではない。 垂直様式における最高傑作として名高いのが、ウェストミンスター寺院の東端にあるヘンリー7世チャペルである。壁面を埋め尽くす装飾は、ほとんど櫛の目を見るようであり、また天井からは、鍾乳石を思わせる石飾りが、幾つも垂れ下がっている。ここでは本来、石造建築における力学的な都合から誕生したヴォールトが、ほとんどその力学を無視するかのような装飾へと発展している。
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