イングランドの閉鎖都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/14 23:54 UTC 版)
「タルモン=シュル=ジロンド」の記事における「イングランドの閉鎖都市」の解説
中世の間、タルモンはTalamoと呼ばれる軍事の土地、荘園であった。1284年、タルモンはイングランド王にしてアキテーヌ公であるエドワード1世が買い上げた。王は、当時フランス南西部で華開いていたバスティッドに匹敵する閉鎖都市をつくろうと、防衛を強化することにした。したがって都市計画は碁盤の目状態で、通りには防衛をたやすくするため直角に交差する場所をもうけ、敵の侵攻をより困難にした。事業は、王がサセックスのウィンチェルシーで行った図面に基づいていた。 この時点では、教会の先に古い遺跡を見ることができる城壁で囲まれていた。たとえば、四角い塔・ブランシュ塔のあった唯一の痕跡である壁の一部である。 百年戦争中、タルモンはイングランドとフランスの激しい係争の地であった。 重要な軍事要塞であったので、タルモンはフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の巡礼地であった。巡礼者は教会の守護聖人聖ラドゴンドへ祈りをささげた後、スラック聖堂へ向かうためジロンド川を渡るか、ブライからボルドーへ向かい旅を続けるかを、選択できた。 14世紀終わり、タルモンはフランス王領に組み込まれた。古い文書はまちの知事、Mondisson la Chassaigneについてふれている。1410年にはギュイエンヌ公ルイ(シャルル6世の王子)はルノー6世・ド・ポンスに置き換えるよう要請した。正式な文書が出され、ギュイエンヌ公ルイが新たにサントンジュに送り込まれた。 1440年、シャルル7世はタルモン行政管区を海軍提督プリジャン・ド・コエテヴィに贈った。
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