イディッシュ語の持つ力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 14:38 UTC 版)
「アイザック・バシェヴィス・シンガー」の記事における「イディッシュ語の持つ力」の解説
1940年代にはヨーロッパから多数のアシュケナジムが移民として米国に渡ったが、これらの移民の間でシンガーの文名は徐々に高まリ始めた。イディッシュ語の話し手はホロコーストでほぼ死に絶えてしまったため、第二次世界大戦後になるとイディッシュ語は「死んだ言語」と見なされがちだったが、シンガーはイディッシュ語が持つ力を信じ、イディッシュ語を読みたいと熱望する読者が多数いることを知っていたのである。1979年2月の『エンカウンター(英語版)』誌のインタビューでシンガーは次のように語っている。すなわちポーランドのユダヤ人はほぼ死に絶えてしまったが「何かが…魂とも呼ぶことのできる何かが…宇宙のどこかにまだ漂っている。これは神秘的な感覚だが、真実はこの感覚の中にあるのだと私は感じている」と。シンガーの文学が過去の偉大なイディッシュ文学の伝統(たとえばショーロム・アレイヘム)に多くを負っていることは疑い得ないが、彼の場合はアプローチの手法が遥かに現代的で、かつアメリカ生活の経験からも大きな影響を受けている点に特色がある。中世のイディッシュ民話から魔術・神秘・伝説などの題材を駆りながらも、そこに現代的なアイロニーを盛り込んでいるところに独創性があるといえよう。これらの主題は、奇妙なものやグロテスクなものとも関連している。 シンガーは18冊の長篇小説をしたため、14冊の童話を出し、無数の回想録や随筆や記事を書いたが、彼の本領は12冊以上にのぼる短篇集にある。英語による最初の短篇集は『馬鹿のギンペル(英語版)』(1957年)で、表題作は1952年、ソール・ベローによって英訳され、『パルチザン・レビュー(英語版)』誌に登場した。『フォルヴェルツ』に掲載された短篇は、のちに『父の法廷』(1966年)などの短篇集にまとめられた。この短篇集には「羽の冠」(1973年)、「市場通りのスピノザ」(1961年)、そして実在のイディッシュ俳優ジャック・レヴィ(英語版)をモデルにした「カフカの友人」(1970年)などの名作が収録されている。彼の作品世界は、ゲットーやシュテートルで貧困と迫害の中に生きる東欧のユダヤ人社会に舞台を取り、そこでは盲信や迷信が素朴な信仰や儀式と渾然一体になっている。喜びと苦しみ、粗野と繊細、そこでは全てが混沌としている。野卑で淫らでけばけばしい原色の世界に、英知や諧謔が溶け込んでいるところに魅力があるといえよう。
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