イタリア軍・イギリス軍・イスラエル軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
「特別攻撃隊」の記事における「イタリア軍・イギリス軍・イスラエル軍」の解説
有人魚雷マイアーレ 20世紀に入って、有人魚雷を最初に戦争に投入したのはイタリア海軍であった。イタリア海軍は第一次世界大戦で有人魚雷を巧みに使用し、オーストリア海軍の戦艦フィリブス・ウニティスを撃沈するという大戦果を挙げている。第二次世界大戦においてもその伝統は受け継がれ、1935年に有人魚雷の開発が開始されて1939年には訓練が開始された。有人魚雷はマイアーレ(S.L.C)と名付けられ、俗称でピグと呼ばれた。しかし、この兵器は後の日本海軍の回天とは異なり、魚雷はあくまでも移動手段であり、搭乗しているフロッグマンが魚雷で敵艦に接近し、敵艦に魚雷弾頭の爆薬をしかけた後に退避するといった運用法であったため、危険性は高いが特攻兵器とは本質的に異なる。 マイアーレのもっとも大きい成功は、アレクサンドリア港攻撃で2隻の戦艦を大破させたことであり、一時的に地中海の枢軸軍と連合軍の海軍力のバランスを逆転させている。その後もマイアーレは通商破壊作戦に投入され、多数の商船を撃沈している。 有人魚雷チャリオット イタリア軍の有人魚雷マイアーレに大きな損害を被ったイギリス軍は、捕獲したマイアーレを参考に有人魚雷チャリオットを開発し、実戦に投入した。チャリオットはマイアーレより大型で、速力4ノット、航続距離3ノットといずれもマイアーレを上回っていた。 チャリオットは1942年10月に、ドイツ海軍の戦艦であるティルピッツを攻撃する任務に投入された、チャリオットを搭載した仮装漁船で、ノルウェートロンハイムに停泊中のティルピッツに接近を試みたが、ティルピッツに接近前に、嵐に巻き込まれチャリオットは仮装漁船から落下し、海中に没してしまい任務は失敗に終わった。その後、チャリオットは、1942年11月にマルタ島とシシリー島に停泊中の艦船攻撃にも投入され、軽巡洋艦ウルピオ・トライアーノを撃沈するなど一定の成果を挙げている。 MT艇 イタリア海軍は第二次世界大戦中に自爆ボートの一種であるMT艇(英語版)を運用していた。搭乗員は目標の手前で舵を固定してから海に飛び込んで脱出するようになっていたが危険な任務であることには変わりなく、死亡率は高かった。MT艇が上げた戦果の最大のものは1941年のスダ湾襲撃であり、重巡洋艦及び油送船各1隻沈没の戦果をあげた。 戦後MT艇は建国直後のイスラエルに渡り、第一次中東戦争でエジプト海軍の旗艦アミール・ファルーク(英語版)を撃沈するなどした。
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