アメリカ独立戦争におけるノースカロライナ
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「ノースカロライナ州の歴史」の記事における「アメリカ独立戦争におけるノースカロライナ」の解説
裕福な海岸地域の開拓者達は世直し家達に反対したものの、彼らもまた1760年代にイギリス政府に対する不満が募っていた。1776年春、ノースカロライナの人々が植民地会議の第4会期に集い、イギリスからの独立宣言に同一歩調を取るために第二次大陸会議に送る植民地代表に権限を与える一組の決議、ハリファックス決議を起草した。1776年11月、ノースカロライナの代議員がハリファックスに集まり、新しいノースカロライナ憲法を書いた。この憲法は1835年まで有効であり続けた。 独立戦争の初期はノースカロライナでも武力行動があったが、1780年から1781年にこの地域が戦いの焦点になった。大陸軍の将軍ナサニエル・グリーンは、1781年3月のギルフォード郡庁舎の戦いで、チャールズ・コーンウォリス指揮下のイギリス軍とまみえた。 1787年に起草されたアメリカ合衆国憲法はノースカロライナで議論を呼んだ。1788年7月にヒルズボロで会した代議員達は、それが連邦党の主導に寄りすぎているという理由で否決した。代議員達は結局考えを変えるように説得されたが、これにはジェイムズ・アイアデルとウィリアム・デイビスの苦労を厭わない努力も効あったが、権利章典が制定されるという見込も効いていた。一方裕福な邦内北東部の住人は概して提案された憲法を支持しており、邦内残りの地域の者が共同歩調を取らなければ、合衆国から脱退すると脅した。2回目の憲法批准会議はファイエットビルで1789年11月に開催され、11月21日、ノースカロライナはアメリカ合衆国憲法を批准した12番目の州になった。 ノースカロライナ州は1835年に新しい州憲法を採択した。大きな変更点の一つは州知事を直接選挙で選ぶことにしたことであり、その任期も2年間とした。これ以前の憲法では州知事は議会によって選ばれ、任期は1年間であった。当時の州議会議事堂は1840年に完成した。 1845年から1849年までアメリカ合衆国大統領を務めたジェームズ・ポークはノースカロライナ州で生まれた。1829年から1837年まで大統領を務めたアンドリュー・ジャクソンは、サウスカロライナ州の生まれである可能性が強いが、ノースカロライナ州生まれであるという主張もある。
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