第4会期(Sessio Quarta)
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「第2バチカン公会議」の記事における「第4会期(Sessio Quarta)」の解説
公会議は1965年にいよいよ予定された最終第4会期(Sessio Quarta 1965年9月14日 - 12月8日)を迎えたが、依然として11の草案が決議に至らずに残されていた。特に「草案13」と呼ばれた現代世界と教会のありかたに関する文章は重要案件であり、何度も修正が重ねられていたが、いまだにまとまるめどがたたなかった。『信教の自由に関する宣言』の草稿も議論が繰り返されたが、なかなか多数に受け入れられるものになっていなかった。 この会期の初頭で教皇パウロ6世が、司教会議(シノドス)を立ち上げることを宣言したことが大きなニュースとなった。シノドスは9月15日に創設され、実際に公会後終了後に各地で行われることになり、現代に至っている。 最終的に啓示の扱いについて紛糾した『神の啓示に関する教義憲章』(啓示憲章 Dei Verbum)が参加者の賛成多数によって成立に至ったことで、すでに議論が重ねられていた草案も続々と成立していった。それらは『教会における司教の司牧任務に関する教令』、『修道生活の刷新・適応に関する教令』、『司祭の養成に関する教令』、『信徒使徒職に関する教令』、『教会の宣教活動に関する教令』、『司祭の役務と生活に関する教令』および『キリスト教的教育に関する宣言』、『キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言』、『信教の自由に関する宣言』といったものであった。もっとも難産となった憲章、現代世界とのかかわりについて何をどこまで踏み込んで表現するかが議論となった『現代世界憲章』(Gaudium et Spes)は12月になってようやく成立し、参加者一同が胸をなでおろした。
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