アメリカ独立戦争と産業化 1770年-1860年
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「ロードアイランド州の歴史」の記事における「アメリカ独立戦争と産業化 1770年-1860年」の解説
1776年5月4日、ロードアイランドはアメリカのイギリス植民地の中で最初に独立を宣言した。独立戦争の間、イギリス海軍の艦隊がナラガンセット湾を支配し、時には島や本土を攻撃して、1777年から1778年にかけてはニューポート港を占領した。1778年夏に起こったロードアイランドの戦いはナラガンセット湾からイギリス軍を排除しようとしたものだったが、不成功に終わった。しかし、ラファイエット侯爵がこの戦闘を独立戦争で「最高の戦い」と呼んだ。翌年、イギリス軍はその戦力をニューヨークに集中させるためニューポートを放棄した。 1780年、ロシャンボー伯爵指揮するフランス軍がニューポートに上陸し、戦争の残りの期間、ニューポートはフランス軍のアメリカにおける駐屯所となった。フランス兵は感謝の気持ちで振舞ったため、ロードアイランド議会はカトリック教徒がロードアイランドに住むことを禁じていた古い法律を撤廃した。ロードアイランドにおける最初のカトリック・ミサがこのときにニューポートで行われた。 ロードアイランドは13植民地の中で最後にアメリカ合衆国憲法を批准した(1790年5月29日)。これは外国として扱われ関税を掛けると脅されたことによっていた。ロードアイランドの田舎における憲法反対運動は根強かった。1789年、反連邦党の政治家で独立戦争の将軍であったウィリアム・ウエストが1,000名の武装勢力を率いてプロビデンスに向かい、憲法を批准する9番目の州になる祝いの式に抗議した 。この時は、独立記念日を祝うことに限定して妥協し、内乱はかろうじて避けられた。 1790年、イギリスの移民サミュエル・スレーターがポータケットに合衆国では最初の織物工場を造り、スレーターはアメリカ産業革命の父と言われるようになった。19世紀のロードアイランドは多数の繊維工場を擁し、合衆国でも有数の工業化された州となった。 産業革命は多数の労働者を都市部に呼び込んだ。つまり恒久的に土地を所有しておらず、選挙権のない階層が増えた。1829年までにロードアイランドの自由白人男性の60%は選挙権を持たなかった。 この問題を解決するために幾つかの試みがなされたが、どれも通らなかった。1842年、トマス・ドールが進歩的な憲法を起草し、住民投票で成立した。しかし、保守的な当時の知事サミュエル・ウォード・キングは民意に反対し、ドールの反逆を指導した。この反乱は挫折したが、11月に修正された憲法が成立した。この新憲法では土地の所有者あるいは人頭税1ドルを払った白人男性全員に選挙権が認められた。
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