アメリカ合衆国・ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:05 UTC 版)
「ウラジーミル・プーチン」の記事における「アメリカ合衆国・ヨーロッパ」の解説
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来プーチンはテロとの戦いにおいてアメリカとの協調姿勢を見せた。同時多発テロ後にアメリカ軍がアフガニスタンに侵攻を行う際には、ロシア国内の保守派からの反発があったにもかかわらず、同年9月24日のテレビ演説でかつてソビエト連邦を構成していた中央アジア諸国にアメリカ軍の駐留を認めることやその他の具体的協力を掲げる「対米協力五項目」を謳ってアメリカへの支援を行った。アメリカとの協調路線を選んだのは、ロシアもチェチェン勢力によるテロに悩ませられていたため、アメリカと協調して国際的なテロ包囲網を構築することでチェチェン勢力のテロ攻撃を封じ込もうとしたからであった。 しかし次第にプーチンはアメリカの一極支配に抵抗する構えを見せるようになる。2003年に勃発したイラク戦争においてロシアは戦争に反対してアメリカと距離をおき、同じく戦争慎重派のフランス・ドイツ・中国との連携を強化した。2007年2月にドイツのミュンヘンで行われた「ミュンヘン国防政策国際会議」では、アメリカの一極支配体制は受け入れられないだけで無く、その行動は紛争の解決手段にならず、むしろ人道的な悲劇や新たな緊張が生じる原因となっているとして、アメリカの一極支配体制を批判した。 アメリカが東ヨーロッパ諸国と接近して影響力を高めようとする行動には警戒感を示し、「アメリカにとっても東ヨーロッパ諸国にとっても良いことでは無い」と発言している。特に、アメリカが「イランと北朝鮮への対抗」としてチェコとポーランドにミサイル防衛(MD)システム配備を計画していることに対しては、このシステムが対ロシア用だという疑念を持ち、強い反発を示した。プーチンはこの代替案としてアゼルバイジャンにあるロシアのレーダー施設の共同使用や、トルコやイラクへの配備を促したが、結局アメリカはチェコと2008年7月に、ポーランドと同年8月にMDシステム配備協定に調印した。 北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大(東ヨーロッパ諸国と旧ソ連諸国に加盟国を拡大)については強く反発している。そのためプーチンは2007年4月の年次教書演説で、ヨーロッパ各国による通常兵器の配備の上限を定めたヨーロッパ通常戦力条約をNATO諸国が批准していないことを理由に、同条約の履行を停止することを表明した。そしてプーチンは同年7月に履行停止の大統領令に署名し、上下両院で採択された履行停止法案に同年11月署名した。2008年4月のNATO首脳との会談では欧米諸国が妥協した場合は再び同条約を履行する意思を示したが、NATOの東方拡大に対しては「ロシアにとっての直接的な脅威」だとして反対の姿勢を崩さなかった。 ロシアにとって欧州連合(EU)諸国は最大級の貿易相手である。その中でプーチンはドイツの首相シュレーダーとの個人的な友好関係からドイツと緊密な関係を築いた。その後首相がメルケルと交代しても、ドイツとは「戦略的パートナーシップ」を維持している。しかしEU諸国とはコソボの地位問題などで意見の相違も見られる。アメリカと共にEU諸国が支持したコソボ独立には、セルビアに同調して独立に反対し、「コソボはセルビアの一部」だという立場を取っている。プーチンは、EU諸国やアメリカによるコソボ独立の承認について、長期間にわたって構築されてきた国際関係を崩壊に追い込む「恐ろしい前例」になると発言した。
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