アメリカ・フランス軍艦による報復とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アメリカ・フランス軍艦による報復の意味・解説 

アメリカ・フランス軍艦による報復

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 00:46 UTC 版)

下関戦争」の記事における「アメリカ・フランス軍艦による報復」の解説

ペンブローク号は長崎ではなく上海向かったため、事件知らせ横浜届いたのは文久3年5月25日1863年7月16日であったアメリカ公使ロバート・H・プリュインは、横浜停泊中のワイオミング号のデヴィッド・マクドゥガル艦長列席させて幕府抗議した。この時期アメリカ南北戦争最中でほとんどの軍艦本国にあったが、南軍通商破壊アラバマ号(英語版)を追跡していたワイオミング号が、居留民保護のために一時横浜入港していたものであった幕府自身処理するとしたが、マクドゥガル報復攻撃促した前任者タウンゼント・ハリス同様に幕府姿勢取っていたプリュインも最終的に同意しワイオミング号は横浜出港した文久3年6月1日1863年7月20日)、ワイオミング号は下関海峡入った。不意を打たれ先の船と異なりワイオミング号は砲台射程外を航行し下関港内に停泊する長州藩軍艦庚申丸壬戌丸癸亥丸発見し壬戌丸狙い定めて砲撃加えた壬戌丸逃走する遙かに性能に勝るワイオミング号はこれを追跡して撃沈する庚申丸癸亥丸救援に向かうが、ワイオミング号はこれを返り討ちにし庚申丸撃沈し癸亥丸大破させた。ワイオミング号は報復戦果をあげたとして海峡瀬戸内海出て横浜帰還した。この戦闘でのアメリカ側死者は6人、負傷者4人、長州藩死者8人・負傷者7人であった。もともと貧弱だった長州海軍はこれで壊滅状態になり、陸上砲台艦砲射撃甚大な被害受けた文久3年6月5日1863年7月24日)、フランス東洋艦隊バンジャマン・ジョレス准将率いセミラミス号とタンクレード号(英語版)が報復攻撃のため海峡入ったセミラミス号は砲35門の大型艦前田壇ノ浦砲台に猛砲撃加えて沈黙させ、陸戦隊降ろして砲台占拠した長州藩兵は抵抗するが敵わず、フランス兵民家焼き払い、砲を破壊した長州藩救援部隊を送るが軍艦からの砲撃阻まれその間陸戦隊撤収しフランス艦隊横浜帰還した。 アメリカ・フランス艦隊攻撃によって長州藩手痛い敗北を蒙り、欧米軍事力の手強さ思い知らされた。長州藩領内では一揆発生し一部領民自発的に外国軍隊に協力していた。長州藩士分以外の農民町人から広く募兵することを決める。これにより高杉晋作下級武士農民町人からなる奇兵隊結成したまた、膺懲隊、八幡隊、遊撃隊などの諸隊結成された。長州藩砲台増強し、なおも強硬な姿勢を崩さなかった。 艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲 アメリカ合衆国 ワイオミングWyoming 蒸気スクリュースループ 1859年 排水量1457英トン 198 不明 11インチダールグレン砲x260ポンドパロット砲x132ポンド砲x3 フランス帝国 セミラミスSemiramis 蒸気スクリューフリゲート 1863年改造 排水量3830トン 521 1664IHP 35 タンクレードTancrede 蒸気スクリュースループ(通報艦1861年 排水量500トン程度 不明 不明 4

※この「アメリカ・フランス軍艦による報復」の解説は、「下関戦争」の解説の一部です。
「アメリカ・フランス軍艦による報復」を含む「下関戦争」の記事については、「下関戦争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アメリカ・フランス軍艦による報復」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アメリカ・フランス軍艦による報復」の関連用語

アメリカ・フランス軍艦による報復のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アメリカ・フランス軍艦による報復のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの下関戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS