アナバプテスト
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アナバプテスト(英語: Anabaptist、再洗礼派、さいせんれいは)は、キリスト教において宗教改革時代にフルドリッヒ・ツヴィングリの弟子たちから分派した教派。ツヴィングリ主義の肉の剣の行使を宗教内で持ち続け行ない行使することを批判したのが特徴である[要説明][要出典]。
英語の"Anabaptist"は語源でいうと、anaはギリシャ語の ἀνά-(ana-, 再び)に、baptistは同じくギリシャ語の βαπτίζω(baptizo, 水に浸ける、浸す)に由来する。"re-baptizers"すなわち再洗礼派と訳された。ただし、この系統のうち現代ランドマーク・バプテストはバプテスマのヨハネと初代教会から続く正統性を主張している[1]。
特徴
幼児洗礼を否定し、成人の信仰告白に基づく成人洗礼を認めるのが、その教理的特徴の一つである。幼児洗礼者に成人洗礼を授けることがあるため再洗礼派とも呼ばれる。ただし、彼らにとって幼児洗礼そのものが無効であるので再度洗礼を授けているという認識はない。従って「再洗礼派」を自教会の名称として用いることはない。また「洗礼」を授ける際には、物理的に可能である限り、頭部などへ水滴を落とす「滴礼」ではなく全身を水に沈める「浸礼」によって行われる。他教団などで幼児洗礼を受けた信者に対し、自らの口による信仰告白を伴う「堅信礼」を改めて行う教会もある。
これらの運動の総称としてラディカル・リフォーメーションと呼ぶことがある。熱狂主義者(シュヴェルマー)と呼んで非難され、反宗教改革的なものとされた[4]。
ラディカル・リフォーメーションの分派には三位一体を否定するグループや「キリストは、その血と肉をマリアから受けず、天から持って来られた。」など特異的な信条を唱えるグループや、神秘的な体験を強調するグループも存在した。渡辺信夫はそれらのグループを福音的では無いとして宗教改革と区別している[4]。
カトリック教会のみならず他のプロテスタント勢力からも迫害を受け、多数の人が処刑された。
再洗礼派は長く教会史上異端とされてきたが、20世紀に入ってその運動が再評価され、現在では、そのうち福音的なグループがプロテスタント福音派の有力な潮流のひとつとして理解されている。今日のメノナイトやアーミッシュ、ブレザレン教会は、再洗礼派の流れを汲む。
ただし、ランドマーク派はプロテスタントを自称しない。また、再洗礼派のうちで福音派の超教派の働きに同調しないグループが存在する。
また、一部の再洗礼派は互いの足を洗い謙遜を示す「洗足式」を重視する。また、メノナイトは絶対平和主義を掲げ、良心的兵役拒否などの平和運動で知られる。
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カナダのフッター教徒
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メキシコのメノナイトの家族
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アーミッシュの子供たち
系統図
日本のアナバプテスト
- 東京アナバプテスト・センター(TAC)
- アナバプテスト聖書キリスト教会(単立、北海道)
- 日本メノナイト・ブレザレン教団、日本キリスト兄弟団などメノナイト各派
関連項目
脚注
参考文献
- ジョン・ホワイト 著、笹岡靖 訳『教会と性的罪について』いのちのことば社、1992年7月。ISBN 978-4264013440。
- アリスター・マクグラス 著、高柳俊一 訳『宗教改革の思想』教文館、2000年10月。 ISBN 476427194X。
外部リンク
- Schleitheim Confession
- " Der wedderdoeper eidt" / Le serment des anabaptistes de Münster
- Le site des mennonites suisses
- Données historiques de l'anabaptisme pour la Suisse
- Bibliographie en français sur l'anabaptisme
- Généalogie anabaptiste
アナバプティスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 15:33 UTC 版)
「バルタザール・フープマイヤー」の記事における「アナバプティスト」の解説
フープマイヤーは、ツヴィングリとその生徒達と聖書の解釈について、熱く語り合った。特に、幼児洗礼は聖書になく、歴史上人間の都合で行われていた儀式であることや、大人の洗礼(現在の「洗礼」)を行う必要性など合意していた。しかし、当時、幼児洗礼によって子供の出生登録、市民登録などをシステム化していた国だったので、ツヴィングリやルターなど政治との絡みが強いプロテスタントは身を翻し、(もともとローマ帝国のカソリックの聖書離れより宗教改革をはじめたのに)ローマ帝国に従い、聖書に書かれていることを無視し、幼児洗礼の正当化をするようになる。その時から、フープマイヤーなど幼児洗礼が聖書に基づかないことを訴えるプロテスタントを「アナバプティスト」と呼ぶようになる。アナ(もう一回)バプティスト(洗礼)は、2回目の洗礼をすることから、そのように呼ばれるようになった。大人として信徒になってから洗礼を受けるように訴える点が同じなだけで、色々な見解を持つプロテスタントが「アナバプティスト」という名のもと一絡げに纏められていた。アナバプティストはプロテスタントと認められず、カトリックとプロテスタント両方から迫害を受け、アナバプティストになると当時は、火炙りか、川に石を付けて沈められて処刑された。プロテスタントやカソリックはこの刑を「3度目の洗礼」と呼び、火又は水で清める刑とした。
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