アイアコッカ時代
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経営危機の真っ只中の1978年に、フォード・モーターの社長をつとめていたものの、同社会長のフォード2世との対立から同年に解雇の憂き目にあっていたリー・アイアコッカが新たに社長に就任した。1979年にアイアコッカは、連邦政府と議会からストックオプションと引き換えに、15億ドルのローン保証を得ることに成功した。 しかし、アイアコッカの就任直後に運営資金が底をついたことから、第二次世界大戦以前より同社の収益の大きな柱であった軍需産業部門の売却を余儀なくされた他、大規模な人員削減を行うなど、苦難の時を迎えることとなった。 アイアコッカの就任後より開発を進め、1980年に発売を開始した小型車「Kカー」シリーズの導入と、前輪駆動化や全ラインナップにわたる小型化の推進、1984年のミニバンの発売、肥大化した組織の見直し、海外拠点や子会社を含む不採算部門の売却や閉鎖などの大々的な改革を行った結果、1980年代半ばには、数年前までは倒産寸前だった同社を完全に立て直すことに成功し、1987年には黒字化を達成した。
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アイアコッカ時代
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「フォード・モーター」の記事における「アイアコッカ時代」の解説
エドセルの大失敗で打撃を受けたフォードは、行き過ぎた大型化の反動から中型車や小型車へのシフトが始まった業界の動向にあわせ、1960年に発表したコンパクトカーのフォード・ファルコンをヒットさせた。 さらに1964年にはファルコンをベースに、第二次世界大戦後に生まれたベビーブーマーをはじめとする幅広い層をターゲットにしたフォード・マスタングを発表し、こちらも大きな成功を収めた。1967年にはフォード・ヨーロッパが設立された。 1970年1月、マクナマラの部下の一人で、マスタング等の大成功した車種の開発や、リンカーンおよびマーキュリーブランドの立て直しにあたったリー・アイアコッカが新たに社長に就任した。 1970年代以降、フォードはビッグ3のライバルのほか、オイルショックの影響を受けて急速に伸びた日本の小型車との競争でシェアを失ったが、アイアコッカは後に安全性をめぐり訴訟へ発展したフォード・ピント(1971年)などを発売し、1978年には史上最高の売上と22億ドルの利益を達成した。 しかし、経営方針を巡って会長のヘンリー2世と衝突し続けたアイアコッカは、同年7月13日に解雇された。アイアコッカは解雇後まもなくライバルのクライスラーの社長に就任し、同社の再建に取り組むこととなる。
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