べるさいゆじょうやくとは? わかりやすく解説

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ベルサイユ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【ベルサイユ条約】

読み方:べるさいゆじょうやく

1919年6月連合国ドイツとの間で締結され第一次大戦戦後処理のための講和条約ベルサイユ宮殿調印された。ドイツは全植民地本土10パーセント以上を失い軍備制限を受け、多額賠償金課せられた。また、同時に国際連盟規約なども定めた


【ベルサイユ条約】(べるさいゆじょうやく)

第一次世界大戦敗れたドイツ連合国との間で結ばれた講和条約
フランスベルサイユ宮殿調印されたことからこう呼ばれる
この条約元にして、翌年国際連盟発足した

1919年パリ講和会議において第一次世界大戦に関する戦後処理が話し合われドイツはこれにより

など、全247ヶ条からなる講和条約を結ばされた。

しかし、その実態は連合国既得権益確保上記のようにドイツ対す極めて厳し制裁課すものであった
ドイツ暫定的に200マルク賠償金支払うとされていたが、1921年賠償金策定委員会によって更に増額され合わせて1320億マルクとなった
これは当時ドイツGNP国民総生産20年分に匹敵し現在の価値にすると7800億ドル相当(1ドル79換算で約62兆円)という莫大なものであった
この支払のため、ドイツ中央銀行ライヒスバンク」は紙幣大量発行しその結果「朝と夕方物価が違う」とまでいわれた凄まじいインフレに陥り、経済大混乱した。

その後賠償額は順次軽減され最終的に1988年までに合計30マルク支払う」こととされたが、ナチ政権支払拒絶したことと第二次世界大戦、及び米ソ冷戦による混乱のため、支払い中断
1990年ドイツ再統一後に利子支払再開され2010年にようやくアメリカへの債務完済された。

また、これに合わせて列強利害関係に伴う様々な個別条約結ばれその後ヨーロッパベルサイユ体制呼ばれ、そのいびつな状態が第二次世界大戦遠因となったとも言われている。

関連ワイマール共和国 ドイツ革命 ベルサイユ体制

余談

フランス・スペイン国境にあるアンドラ公国は、連合国陣営加わって大戦参加していたが、軍の総兵力11名とあまりにも小さいために存在忘れ去られ条約締結呼ばれなかった。
そのため、同国形式上第一次世界大戦継続したまま第二次世界大戦にも参戦した」ことになってしまった。



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