一夜妻
『仮名手本忠臣蔵』9段目「山科閑居」 加古川本蔵の命を棄てての頼みにより(*→〔演技〕4)、彼の娘・小浪は、大星力弥の妻となることができた。しかし力弥と小浪が夫婦として過ごすのは、ただ一夜だけである。夜が明ければ力弥は、京都・山科の家を出て泉州堺へ向かい、父大星由良之助や40余人の塩冶浪士たちとともに、高師直を討つべく鎌倉へ旅立つ。仇討ちが終われば切腹する覚悟ゆえ、力弥と小浪は、もうこの世で逢うことはないのである。
『七人の侍』(黒澤明) 村を略奪する野伏り(のぶせり)たちと、村を守るために雇われた7人の侍との戦いが続く。野伏りは半数以上が死んで、残るは13騎。侍は2人が射殺されて、残るは5人。明朝は最後の決戦という前夜、侍の1人・勝四郎と村娘・志乃は、一夜だけの契りを結ぶ。翌日の戦闘で野伏りは全滅し、侍は2人死んで、勝四郎を含む3人が生き残った。村人たちと田植えをする志乃に心を残しつつ、勝四郎は他の2人とともに村を去る。
『太平記』巻4「藤房卿の事」 中納言藤房は、美しい女房・左衛門佐局(さゑもんのすけのつぼね。=後醍醐帝の中宮禧子に仕えた)を一目見て恋に落ち、思いを伝えるすべのないまま、3年が経過する。ようやく夢のような一夜の契りを交わすことができたが、その翌晩、後醍醐帝が笠置へ遷幸し、藤房は帝の供をせねばならなかった。藤房は別れを告げるべく、左衛門佐局に会いに行く。彼女は中宮の供をして不在だった〔*2人は2度と逢うことができなかった〕→〔入水〕5。
『遊仙窟』(張文成) 勅命を受けて遠方へ旅する「私」は、黄河をさかのぼり、桃の花咲く谷間に出て、ある邸宅に宿を請うた。そこは17歳の寡婦・崔十娘(じゅうじょう)の屋敷であり、その兄嫁で同じく寡婦である19歳の五嫂(ごそう)も同居していた。「私」は彼女たちと詩歌のやりとりをした後に、十娘と床を共にして、一夜の歓を尽くした。翌朝、名残を惜しみつつ十娘と別れて、「私」はまた旅を続けた。
*狩りの使いの男と伊勢斎宮の一夜の契り→〔神に仕える女〕2の『伊勢物語』第69段。
*バスの運転手と村娘の一夜の契り→〔身売り〕2の『有難う』(川端康成)。
★2.男女が初めての契りを結んだ直後に、相次いで死んでしまう。
『ベルサイユのばら』(池田理代子)第8~9章 1789年7月12日夜。食事の席でオスカルは、「アンドレ。あとでわたしの部屋へ」と命じ、彼を部屋へ呼ぶ。オスカルは「今夜一晩を、おまえと一緒に」と言って、アンドレと初めて関係を結ぶ。オスカルはアンドレに抱かれ、「わたしの夫・・・・」とささやく。翌13日。国王軍と戦うべく兵を率いて進軍するオスカルは、「アンドレ。この戦闘が終わったら結婚式だ」と言う。しかしその日アンドレは、オスカルをかばって銃弾を受け、死ぬ。オスカルもその翌日戦死する。
★3.男は一夜だけの関係のつもりだったが、女はいつまでも男につきまとう。
『恐怖のメロディ』(イーストウッド) 人気DJのデイブは、彼のファンであるイブリンに誘惑されて、ただ一夜だけのつもりで関係を結んだ。ところが翌日から、イブリンは彼の家へ押しかけ、つきまとうようになる。デイブが厳しく拒絶すると、イブリンの恋情は憎悪に変わる。イブリンはデイブの写真を切り裂き、彼の恋人トビーを殺そうとする。トビーを護衛する刑事を鋏で刺殺し、なおもナイフをふりまわす。デイブはナイフで傷を負いつつも、イブリンを崖下の海へ突き落とす。
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