その後のトサツツガムシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:50 UTC 版)
「土佐のほっぱん」の記事における「その後のトサツツガムシ」の解説
「土佐のほっぱん」の病態解明後、トサツツガムシが媒介者と考えられる四国型ツツガムシ病の発生は、高知県内では1953年(昭和28年)、1956年(昭和31年)、1959年(昭和34年)に各1名ずつ報告された届出を最後に途絶え、香川県内での事例を含め1980年頃より報告がなくなり、その後はタテツツガムシ、フトゲツツガムシが媒介する比較的症状の軽いツツガムシ病が発生するようになった。 新型ツツガムシ病をはじめ、様々なダニ媒介性感染症の研究進展の、きっかけのひとつとなった「土佐のほっぱん」の病態を解明した佐々学は、その後、東京大学教授、同医大研究所所長、国立公害研究所所長などを歴任し、2006年(平成18年)に90歳で死去した。 佐々は著書『風土病との闘い』の中で「土佐のほっぱん」病態解明について次のように記している。 沢田メモは医学にしろうとの古老が、永年の間の資料を克明にのこした、学界には貴重な記録であった。このメモをヒントにして、われわれのツツガムシ病に関する研究も、それから数年の間にたいへんな進歩をして、外国の学者もびっくりするような医学上、動物学上の新知識もえられたのである。 高知県に限らず日本各地の風土病を現地調査し、生涯にわたり研究し続けた佐々は、風土病の調査で大切なことは、どのような場所であっても実際に現地へ行き、先入観を持たず当地の人々と身近に接し、その人たちを取り巻く自然の姿を究明すること、すなわちフィールドワークを行うことの重要性を強調している。 2000年代以降、四国では夏のツツガムシ病の発生および、トサツツガムシの生息情報もほとんど報告されていないが、2014年(平成26年)6月から9月にかけ、馬原アカリ医学研究所、愛知医科大学、国立感染症研究所の共同チームによって行われた生息確認調査により、馬宿地区に隣接した引田港の藪で1匹のトサツツガムシ個体が採取された。近年の四国型ツツガムシ病の激減にも関わらず、わずか1匹であるが生息が確認できたことにより、今日もトサツツガムシ媒介による感染のリスクが続いているものと推測されている。
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