その後のダム事業
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その結果同年11月に事業は広島県と山口県が建設省中国地方建設局(現・国土交通省中国地方整備局)に事業を委託施工する形で決着を見、用水の配分も建設省の裁定で行われた。以後建設省の下で小瀬川ダム工事事務所が発足し補償交渉も妥結、本格着工となって1964年(昭和39年)に完成した。ダムの型式は重力式コンクリートダム、堤高は49.0m。洪水調節・不特定利水・工業用水供給の他、1989年(平成元年)からは山口県企業局による小規模水力発電も行われている。ダムは現在両県の共同管理となっており、両県の職員が管理を司っている(管理事務所の所在地は左岸側の広島県廿日市市)。 ダム湖は完成してから最近までは小瀬川貯水池と呼ばれていたが、1987年(昭和62年)に呼称を公募、現在は「真珠湖」と命名されている。小瀬川はダム完成後更に人口の増大・工業地帯の拡大で水需要が逼迫。河川改修も居住地の拡大で引堤が困難である事から建設省によって1989年、中流に特定多目的ダムである弥栄ダム(国土交通省直轄ダム)が建設されている。
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