その後のタイコンデロガ
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「タイコンデロガの攻略」の記事における「その後のタイコンデロガ」の解説
1775年の7月、将軍フィリップ・スカイラーは、8月末のカナダへの侵攻の土台として、砦を使用し始めた。 1775年から1776年の冬、ヘンリー・ノックスは、タイコンデロガからボストンへの「大砲の輸送」を指揮していた。大砲はドーチェスターの台地に、包囲されたボストンの町と、港のイギリス船を見下ろす形で据え付けられた。これが、イギリス軍と王党派とが、翌年の3月に撤退するきっかけとなった。 ベネディクト・アーノルドは、バルカー島の戦いで再び艦隊を率い、イギリス軍の砦奪還の野望をくじく、重要な役割を演じた。1777年7月、サラトガ方面作戦で、イギリスはタイコンデロガ砦包囲戦の結果一度は砦を取り戻したが、ジョン・バーゴインが10月に降伏してから後に、砦を放棄した。
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