その後のナイマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:02 UTC 版)
ナイマンの余衆はモンゴルに再編されたが、その子孫は後に反フビライ家連合たる四オイラト(ドルベン・オイラト、Dorben Oirad)の一角、チョロース部を形成した。チョロース部から更にドルベト部(英語版)とジュンガル部が誕生することとなる。 ジュンガル帝国(ジュンガル・ホンタイジ国)の滅亡後、清によって内蒙古六盟四十九旗が設置されると、ジョーオダ(昭烏達)盟のひとつ、ナイマン(奈曼)部一旗としてその名が残った。 現在、カザフスタン東部で200万人以上のナイマン族が居住している。
※この「その後のナイマン」の解説は、「ナイマン」の解説の一部です。
「その後のナイマン」を含む「ナイマン」の記事については、「ナイマン」の概要を参照ください。
- その後のナイマンのページへのリンク