その後のニーニャ号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 06:28 UTC 版)
1493年の9月、イスパニョーラ島に植民地を建設することを目的に計画されたコロンブスによるアメリカへの2度目の航海にニーニャ号も再び加わり、その中でキューバへの探検行においては旗艦を務めた。1495年に船団が遭遇したハリケーンにおいてはニーニャ号ただ1隻が生き残り、翌年にはスペインに再度の帰還を果たした。 その後、ニーニャ号はローマへの非公式な航海に貸し出され、その旅路の過程、サルデーニャ島のカリャリの港を発ったところで海賊によって拿捕され、プーラ岬まで曳航されるという災難に見舞われたが、当時の船長アロンソ・メデルは数人のクルーとともに海賊からのがれ、ボートを盗んでニーニャ号へと取って返して出帆し、スペインのカディスまで逃げ延びた。 1498年、コロンブスの3度目のアメリカ遠征に伴い、その先遣として再びイスパニョーラ島へと向かった。 その後、1500年にはサントドミンゴにおいて特に任務もなく停泊しており、1501年に商取引のためパール・コーストへの航海を行った記録を最後に、この船のその後については明らかでない。 ニーニャ号は、記録によればコロンブスの指揮下における航海だけで少なくともおよそ25,000マイル(40,200km)もの距離を航行した。この距離はほぼ地球一周に相当する。
※この「その後のニーニャ号」の解説は、「ニーニャ号」の解説の一部です。
「その後のニーニャ号」を含む「ニーニャ号」の記事については、「ニーニャ号」の概要を参照ください。
- その後のニーニャ号のページへのリンク