その後のハスモン家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 05:46 UTC 版)
ローマの影響力の前にハスモン朝支配はすでに名前だけのものになっていたが、ヒルカノス2世はそのローマの後ろ盾によってなんとか王位についていることができた(在位:紀元前63年 - 紀元前40年)。しかし、ヒルカノス2世は、そのころ東方から進出してきたパルティアと結んだアリストブロス2世の遺児アンティゴノスによって捕らえられ、王位を奪われた。 アンティゴノスはパルティアの支援によって、父の仇を討って王と大祭司の地位を手にいれることに成功した。紀元前40年から紀元前37年まで在位したアンティゴノスは大祭司にして王というユダヤの二大称号を保持した最後の人物となった。 ヒルカノス2世を支えた武将アンティパトロスの息子ヘロデ(ヘロデ大王)もアンティゴノスに命を狙われたが、辛くもその手を逃れ、ローマに渡ってその支持を得ることに成功、ユダヤ王として承認された。マルクス・アントニウスが率いたローマ軍と共にユダヤに戻ったヘロデはパルティア軍を追い払い、後ろ盾を失ったアンティゴノスを破って紀元前37年に名実共にユダヤの王となった。ローマ軍の捕虜となったアンティゴノスは斬首されてハスモン朝は滅亡、ヘロデ朝が成立した。
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