その後のバーティー家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 08:36 UTC 版)
「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の記事における「その後のバーティー家」の解説
9代伯アルベマールは襲爵前にスタンフォード選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務めたほか、1814年以降その死までブラックネス城代(英語版)を務めたなお、彼から11代伯にかけての伯爵家長男は儀礼称号としてバーティー卿(Lord Bertie)を用いたほか、12代伯までの歴代当主はアイルランド貴族爵位のカレン子爵(英語版)の潜在的な継承権者であった。9代伯アルベマールの後は長男のジョージ(英語版)(1814-1877)が爵位を襲っている。 10代伯ジョージは「飲んだくれか狂人のどちらか」と評された人物だったが、彼には子がなかったため爵位は弟のモンタギュー(英語版)(1815–1899)に継承された。 11代伯の子である12代伯モンタギュー(英語版)(1861–1938)が1938年に男子なく没すると、2代伯の後妻の子孫にまで遡ってアビンドン伯爵家当主であったモンタギュー・タウンリー=バーティー(英語版)(1887–1963)が爵位を継いだため、以降の伯爵家当主はアビンドン伯爵を兼ねることとなった。 その後を継いだ14代伯リチャード(英語版)(1931-)がリンジー伯爵及びアビンドン伯爵バーティー家現当主である。 伯爵位に対するモットーは『勇気は破城槌よりも強し(Virtus Ariete Fortior)』。
※この「その後のバーティー家」の解説は、「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の解説の一部です。
「その後のバーティー家」を含む「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の記事については、「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の概要を参照ください。
- その後のバーティー家のページへのリンク