その後のバリエーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:04 UTC 版)
「鬼の子小綱」の記事における「その後のバリエーション」の解説
岩手県遠野市では、人を食いたくなり、自ら殺してくれと柴の中に入り、火をつけてもらい、灰となり、その灰が風に吹かれ、蚊と化し、蚊は今でも人を食うと伝えられている。 岩手県下閉伊郡岩泉町では、鬼子が子供をかじるようになったため、刻み殺され、戸口に刺し、鬼がこれを見て驚き、逃げた。サヨが鬼ヶ島から帰って来た3月3日を女子の日とし、鬼が正月15日に来たため、ヤツカカシ(焼き刺し)をするようになったと伝えられる。 宮城県仙台市では、鬼の子の名を「片子」と呼び、右半身が鬼で、左半身が人間で、10歳ほどとし、登場人物もおじいさんではなく、夫としており、鬼の子の最期は、「日本に帰るも鬼子鬼子とはやされて居づらくなり、鬼の体の方を細かく切り、串刺しにして戸口に刺しておくと鬼除けになり、それでもダメなら石で目玉を狙え」と遺言し、ケヤキの木から落ちて死ぬ。母親はその通りにして、追って来た鬼を撃退する。それから節分の日には片子の代わりに田作りを串刺しにし、「福は内、鬼は外、天打ち地打ち四方打ち、鬼の目玉をぶっ潰せ」といって、豆まきをするようになったと伝えられる。 山形県新庄市では、鬼が追ってくるのを予想した爺は母親を説得し、片子をころし、バラバラにし、やって来た鬼は、自分より荒い奴がいると逃げた。今は節分の日に田作りの頭を下げると伝える。また同市では、片子自らが、体を裂いて家の前に張ってほしいと懇願する例もある。 鬼の子の名を「幸助」と言う。成長し、食人衝動を感じた幸助がみずから「俺を瓶の中に入れて庭の隅に埋めてくれ。そして、三年たったら掘り返してほしい」と母親に懇願する。懇願された母親は泣く泣く幸助の望み通りにする。三年後にその瓶を掘り返すと、瓶は小銭に満たされていた、という例もある。 富山県中新川郡では、片子の姿が見えなくなり、探しているうちに親が疲れて眠ったところに氏神が現れ、「おまえたちを助けるために子どもになってきたのだから探さなくてもよい」と告げる、という類話も伝えられている。 奄美大島では、人と暮らせず、自ら海の中に沈んで行ったと伝えられている。
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