その後のピカレスク小説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:06 UTC 版)
「ピカレスク小説」の記事における「その後のピカレスク小説」の解説
『従士マルコス・デ・オブレゴン』(1618年)や『びっこの小悪魔』(1641年)のような写実的でありながら抒情的で詩的な小説が出てきた。それ以降では、風俗写実文に過ぎない小説が多く出版される。そんな中でケベードの『ドン・パブロスの生涯 (Historia del Buscón don Pablos)』(1626年)では、言葉遊びに富み、カリカチュアで装飾過多になり、さらに諷刺、揶揄、悲観主義の要素が色濃くなった。 しかし前述したグスマンのバロック手法は、ティルソ・デ・モリーナの『セビーリャの色事師と石の招客 (El Burlador de Sevilla y Convidado de piedra)』(1630年、モリーナ作ではないとする説あり[要出典]。ドン・ファンが非道徳的行動をすることで道徳的規範を示す方法)に受け継がれている。
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