かつての所属車両
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キハ66系気動車キハ66・67形各0番台の2両編成(1 - 3・6 - 8・12)7本と、100番台の2両編成 (110) 1本の計16両が所属していた。 2020年3月1日時点では、キハ66・67形各0番台の2両編成(1 - 3・5 - 9・11 - 15)13本と、100番台の2両編成 (110) 1本の計28両が所属していた。 運用区間は佐世保線(佐世保 - 早岐間)・大村線・長崎本線(諫早 - 長崎間)で快速シーサイドライナーや普通列車として運用されていたが、以前は肥前大浦発長崎行き、長崎発小長井駅までの定期運用も存在した。 有田陶器市開催時は上有田駅までの乗り入れ。 2001年(平成13年)10月に直方気動車区(現・直方運輸センター)から全車が転属した。 100番台の2両は台車交換により、もとの番号からプラス100が付与されたものである。 2015年(平成27年)春にキハ66 4+キハ67 4が運用離脱し、2016年(平成28年)2月に廃車された。 2020年3月のダイヤ改正でYC1系が投入されたことに伴い、キハ66・67形各0番台の2両編成9・13 - 15が運用離脱し、8月には5・11が運用離脱。これらの6本12両は、2020年6月から2021年1月にかけて廃車された。 2021年6月30日をもって運用終了。その後、川尻電留場と八代へ疎開回送された。 キハ200系気動車2020年4月1日時点では、キハ200形0番台・1000番台の2両編成2本、キハ200形550番台・1550番台の2両編成2本、キハ220形4両(1100番台1両、200番台3両)、計12両が所属していた。2021年3月11日をもって長崎地区での運用が終了し、2021年3月12日付及び同月13日付で、全車が大分車両センター・熊本車両センター・鹿児島車両センターに転属。
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かつての所属車両
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EF59形 元々瀬野機関区所属車両であったが、当機関区の派出所となった1985年から配置された。EF67形0番台に置き換えられる形で1986年までに運用を離脱した。 EF60形 1966年から配置されていたが、EF65形に置き換えられる形で1987年に運用を離脱した。 EF61形 0番台は1968年のダイヤ改正に伴い宮原機関区から転属し、1984年までに全車運用を離脱、1985年に廃車となった。200番台は元々瀬野機関区所属車両であり、当機関区の派出所となった1985年から配置されたが、EF67形100番台に置き換えられる形で1991年までに全車廃車となった 。 EF65形 1969年には新鶴見機関区から500番台F形が転入し、1970年には0番台・1000番台が新製配置されたが、1979年に一旦配置がなくなった。1989年には車籍復活車の配置によって再びEF65形の配置区となったが、EF66形増備に伴い1991年に新鶴見機関区に転属した。 EF66形 1978年に下関運転所から0番台22両が転属してきたが、1984年に全車が吹田機関区に転属した。1989年からは100番台が新製配置されたが、1996年3月に全車吹田機関区に転属した。 EF67形 もともと瀬野機関区所属車両であったが、当機関区の派出所となった1985年から配置された。1990年には100番台が追加され、全車が1996年3月に広島車両所に転属した。
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