おおい‐けんたろう〔おほゐケンタラウ〕【大井憲太郎】
大井憲太郎 おおい けんたろう
大分生まれ。政治家、社会運動家。長崎で蘭学、化学を学んだ後、箕作麟祥に師事、大学南校でフランス学を学ぶ。フランスの法律書を数多く翻訳。明治7年(1874)の民撰議院論争で、最も急進的な即時開設論を主張し注目される。8年(1875)元老院少書記官となるが翌年免官。15年(1882)自由党常議員となり、自由民権運動の理論家として急進派を指導した。18年(1885)大阪事件を起こし投獄されたが、22年(1889)大赦により出獄。25年(1892)東洋自由党を結成、対外強硬論を主張する一方、労働問題・小作問題等にも尽力した。
- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 仏国民撰議院選挙法 / 大井憲太郎, 蓑田真蔵訳 ; 箕作麟祥閲 滔々斎, 明7.9 <YDM31979>
- 仏国法律提要. [1], [2], [3], [4], [5], [6] / 箕作麟祥, 大井憲太郎訳 葆光社, 明9.10 <YEM29854>
- 仏蘭西州法. [1], [2], [3], [4] / 大井憲太郎訳 ; 箕作麟祥閲 山中市兵衛等, 明9 <YDM32596>
- 仏国商工法鑑 / 大井憲太郎訳 司法省, 明10.7 <YDM35405>
- 仏蘭西州法 州長篇,州会篇,参事院篇 / 大井憲太郎訳 ; 箕作麟祥閲 平尾東三, 明11.5 <YDM32598>
- 時事要論 / 大井憲太郎著 板倉中, 明19.11 <YDM27879>
- 仏国商工法鑑 / 大井憲太郎訳 有隣堂, 明20.7 <YDM35406>
- 自由略論 / 大井憲太郎著 鍾美堂, 明22 <YDM27933>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
「おおい けんたろう」の例文・使い方・用例・文例
- おおい,その船
- 新しい病院ができて私たちはおおいに恩恵を受けた
- 父の助言からおおいに得るところがあった
- 我々の見解はその点でおおいに異なる
- この機械のおかげでつらい労力がおおいに省ける
- 大部分は,おおいに
- その美しい眺めを見ておおいに楽しんだ
- おおいに知恵のあるところを示す
- 彼が父親の事業を引き継ぐことはおおいにあり得る
- 生活様式はここ数年でおおいに変わった
- 人々は大統領の政策をおおいに買っている
- 彼らが無事と知りおおいに安心した
- 彼女が10人の子持ちということに私はおおいに驚いた
- 風から守るため、苗につり鐘型ガラスおおいをかぶせた。
- この手編みの耳おおい付きの帽子はカトマンズ製です。
- コックピットの流線形のおおいに小さなひびが入っていた。
- 彼女の服はパーティーでおおいに注意をひいた。
- 彼女の3本目の映画は彼女の名声をおおいに高めた。
- 彼らはおおいに努力したが結局失敗した。
- 彼は私たちの期待をおおいにかきたてたが、落胆させただけだった。
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