『夢遊裁判』とは? わかりやすく解説

『夢遊裁判』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)

みどり荘事件」の記事における「『夢遊裁判』」の解説

1991年平成3年2月ノンフィクション作家小林道雄は、互い親類結婚により縁続きとなる者から、甥が熱心に支援しているというみどり事件資料受け取った。この甥は、輿掛の自衛隊時代銃剣道部の先輩で、自衛隊退職後は東亜国内航空整備士として羽田整備工場に勤務していた。彼は、輿掛の逮捕当時警察からの電話自衛隊時代様子聞かれて輿掛が自衛隊退職することになった飲酒運転事故のことを話したが、輿掛をよく知る彼は、輿掛が殺人事件被疑者となっていることについては「彼は絶対にそんなことをする人間ではない。何かの間違いではないか」という話をしていた。その後控訴審の審理始まってから、弁護団は輿掛から「T警部補に、自衛隊時代先輩にも話を聞いたが輿掛は酔っ払うと分からなくなると言っていたと追及された」という話を聞き安東弁護士彼に確認電話入れた。彼は、自分の話の一部切り取られ言っていないことを捏造されて輿掛の追及利用されたことに憤り以後、輿掛の無実信じて積極的に活動していた。 直接彼から事件裁判詳細聞き興味持った小林は、大分で弁護団会い控訴審第7回公判以降裁判をたびたび傍聴し、輿掛とも面会するなど取材重ねた弁護団は、輿掛の逮捕前後のマスコミの報道姿勢対す不信感からジャーナリスト肩書を持つ小林警戒感をもって迎えたが、丁寧な取材通じて積み上げた事実を基に判断しようとする小林取材手法触れる中で徐々に信頼関係形成されていった一方小林は、初め会ったときの自然体の対応や庶民的な飲み屋に通う姿から、初対面弁護団好印象持った記している。それでも小林は、当初事件について予断持つまい努めていたが、弁護団から渡され一審判決読んで少なくとも刑事裁判大原則である「疑わしきは被告人の利益に」に反すると感じまた、取材通じて輿掛の無実信じるようになっていった。 1991年平成3年10月小林月刊誌現代誌上で「女子大生暴行殺人事件-ある『夢遊裁判』の記録」を発表し事件の問題点世に問うた。この反響大きくみどり荘事件社会的な注目を集めるようになっていった。その後小林は、後述するDNA鑑定鑑定結果待っていた控訴審第17回公判ころまでをまとめた『夢遊裁判 ―なぜ「自白」したのか―』を1993年平成5年6月出版し1996年平成8年12月には裁判終了後までの内容大幅に加筆改題したものが『<冤罪>のつくり方大分・女子短大生殺人事件―』として文庫化された。

※この「『夢遊裁判』」の解説は、「みどり荘事件」の解説の一部です。
「『夢遊裁判』」を含む「みどり荘事件」の記事については、「みどり荘事件」の概要を参照ください。

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