裁判自体に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
「みどり荘事件」の記事における「裁判自体に対する評価」の解説
ノンフィクション作家の小林道雄は、著書の中で一審判決を評して「裁判官は法廷の雛壇に目を開けて座ってはいただろう。だが、その目ははたして覚めていたのかどうか」と述べて『夢遊裁判』と名付けた。この言葉は、みどり荘事件の裁判を表す言葉として広く人口に膾炙した。 弁護団の安東弁護士は、控訴審判決を「望み得る最高の判決」と評価したが、小林は「私としてもそうは思う」としつつ、控訴審判決の中の二つの点は受け入れがたいとしている。一点目は、控訴審判決が輿掛の不利益供述の任意性を否定する論拠の一つとして、輿掛が「心的ストレスに対する抵抗力が弱く、危機的状況において容易に心的破綻に陥る傾向がある」と指摘した点である。小林によれば、代用監獄で厳しい取り調べが行われれば誰でも容易に虚偽自白に追い込まれかねないのであって輿掛の心理特性が原因ではないとし、また、控訴審判決が採用した輿掛の心的特性は起訴前の精神鑑定が「犯行時に心因性ショックが見られたことから推測されるように」として認定したものであり不当なものであると指摘している。この点については、心理学者の浜田寿美男も「真っ白無罪の『最高の判決』に一点、汚点が染みているよう」と述べている。二点目は、一審での輿掛の不利益供述の維持について、輿掛と弁護団の意思疎通が不十分で「不利益供述に対する吟味が十分になされず、その思い込みから解放される手段も講じられ」なかったとした点である。弁護団が控訴審で痛烈な自己批判を展開した成果ではあっても、一審の無期懲役判決は「あまりにも愚かな一審裁判官の質にあった」のであって、弁護団の責任であったかのような表現には抵抗があるとしている。 また、久留米大学准教授の森尾亮らは、一審判決の事実認定は警察や検察の立てたストーリーを事実に基づかずに「あり得べからざることではない」と単に主観的に同意しただけのものに過ぎないと批判し、一審判決が有罪の根拠とした事実認定を否定した控訴審判決をすぐれた判決として高く評価している。ただし、控訴審がその判決を下すまでに6年3か月を要していること、203号室に輿掛の指紋がなかったことに触れていないことを控訴審の問題点として指摘している。
※この「裁判自体に対する評価」の解説は、「みどり荘事件」の解説の一部です。
「裁判自体に対する評価」を含む「みどり荘事件」の記事については、「みどり荘事件」の概要を参照ください。
- 裁判自体に対する評価のページへのリンク