『今昔物語集』ほか
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「雨を降らせて殺された竜」の記事における「『今昔物語集』ほか」の解説
奈良県や大阪府などに残るこれらの伝承は、『今昔物語集』(1120年代以降)巻第13にある「竜聞法花読誦依持者語降雨死語第三十三」の物語に似ているとの指摘がある。この物語によれば、昔、奈良の龍苑寺に、日々熱心に『法華経』を唱える僧がいた。竜が人間の姿で毎日のように訪れてはこれを聞いていた。じきに僧と竜は親友となり、このことは世間にも知られていた。ある年に国中が旱魃に見舞われると、天皇が僧を呼び、寺に来る竜に雨を降らせるようにと命じた。事情を知った竜は、大梵天王をはじめとする諸仏が国難を防ごうとして旱魃を起こしていること、もし自分が雨を降らせれば殺されること、自分が『法華経』によって前世の罪から救われたことを話し、雨を降らせることを承諾した。竜の言葉通り、3日間にわたって雨が降り、地上は潤い、天皇も人々も喜んだ。僧は、竜の最後の望みに従って、峰の池の中にバラバラにされた竜のなきがらを見つけて埋葬し、その場所に龍海寺を建てた。また、竜が気に入っていた3箇所の場所にも龍心寺、龍天寺、龍王寺を建てた。僧は寺で『法華経』を唱えて竜を弔う日々を送ったという。この物語の出典は『本朝法華験記』(『大日本国法華験記』とも。1040年-1044年頃)中巻第67の「竜海寺の沙門某」で、舞台が大和国平群郡の竜海寺、竜の遺体を埋めた場所に建てた伽藍に付与された名称も竜海寺、竜が気に入っていた4箇所に建てたのが竜門寺、竜天寺、竜王寺ほか1寺というふうに寺の名称に違いがあり、竜の遺体の状態の説明もないが、話はほぼ同じ内容である。『東大寺要録』巻四・諸院章第四にも同様の話があり、法蔵僧都による『最勝王経』の講を聴いた竜が雨を降らせる。雨に血が混じっているのを見た法蔵僧都は、天候は天神地祇が支配しているにもかかわらず雨を降らせたために竜が殺されたことを悟って泣く。寺を建立する話はないが、竜が自身の死後に必ず弔うように頼んでいることから、高谷 (1970)は元々の話には寺の建立のエピソードがあっただろうと推定している。これらの物語では、竜は仏法を信仰し功徳を得られたことから報恩のために自らの命を捧げている。 竜が雨を降らせて殺される物語は、他にも、『元亨釈書』四・法蔵、『雑談集』九・冥衆ノ仏法ヲ崇事などがある。1305年(嘉元3年)頃に無住によって書かれた『雑談集』では、竜のなきがらを納める寺の名は龍頭寺、龍腹寺、龍尾寺とされているがその所在地は定かでない旨も記されている。五十嵐 (2012) は、『雑談集』での3寺の名称は、四条畷市の龍尾寺の「河州讃良郡瀧村起雲山龍尾寺略縁起」における3寺の名称と同じであるという。
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