『今昔物語集』での説話
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『今昔物語集』巻22「高藤内大臣語 第七」には、次のような高藤と列子のロマンスが伝えられている。鷹狩が趣味であった高藤は、15、16歳の時に鷹狩のため南山階(山城国宇治郡、現在の京都市山科区)を訪れていたが、にわかに雨が降り始め、馬の口取をしている舎人とともに通りがかった郡の大領である弥益の屋敷で雨宿りをした。勧められるままに弥益の邸に1泊した高藤は弥益の娘の列子に一目ぼれして一夜の契りを結んだ。翌日、京に戻ろうとした高藤は、自身の佩刀を列子に預けて身の回りに他の男を寄せ付けてはいけないと言い残して屋敷を去った。 鷹狩から帰らぬ息子を心配して待っていた高藤の父・良門は激怒し、高藤が今後鷹狩に行くことを厳しく禁じた。また、道案内をした舎人も田舎に帰ってしまったため、列子は高藤と長らく音信不通になってしまった。それから6年後、京に帰ってきた舎人の案内によって高藤はようやく列子と再会するが、その時、列子は高藤に瓜二つの娘を連れていた。かつて、高藤との一夜の契りで宿した子であった。2人の間に生まれた姫君(胤子)は宇多天皇女御となり、後に生まれた男子2名(定国と定方)も大いに繁栄し、父である弥益も四位に叙せられ、修理大夫となった。 また、『交野少将物語』にも、列子をモデルにした交野少女が登場する。『今昔物語集』同様に、低い身分の少女が貴公子に見初められて結婚し、生んだ子が后となり国母として尊敬を集める「幸ひ人」として描かれており、列子の一生が当時の中流女性の成功譚として見られていたと考えられる。『源氏物語』の光源氏と明石の御方らの恋の話も、身分格差のあった列子と高藤が結ばれた話がモデルであると言われている。なお、作者の紫式部は高藤と列子の子孫にあたる。
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