今昔物語集での説話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 11:39 UTC 版)
『今昔物語集』巻22「高藤内大臣語 第七」には次のような高藤と列子のロマンスが伝えられている。 鷹狩が趣味であった高藤は、15、16歳の時に鷹狩のため南山階(山城国宇治郡、現在の京都市山科区)に来ていた。にわかに雨が降り始め、馬の口取をしている舎人とともに通りがかった郡の大領である弥益の屋敷で雨宿りをした。勧められるままに弥益の邸に1泊した高藤は弥益の娘(列子)に一目ぼれして一夜の契りを結んだ。 翌日、鷹狩から帰らぬ息子を心配して待っていた高藤の父・良門は激怒し、高藤が今後鷹狩に行くことを厳しく禁じた。また、道案内をした舎人も田舎に帰ってしまったため、高藤と列子は長らく音信不通になってしまった。それから6年後、京に帰ってきた舎人の案内とともに高藤はようやく列子と再会する。再開した列子には娘がいた。6年前、高藤との一夜の契りで宿した子であった。高藤と列子の間に生まれた姫君(胤子)は宇多天皇女御となり、後に生まれた男子2名(定国と定方)も大いに繁栄し、その祖父である弥益も四位にに叙せられ、修理大夫となった。 説話の中では、弥益は宇治郡の大領(従七位上相当)として記されているが、郡司としての記録はなく京官として漏刻博士など任官の記録があることから、正しくは山科を本貫地とする中・下級貴族であったと考えられる。また、交野少将物語では、狩場として有名な交野郡の大領として記されている。
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