「観心本尊抄」とは? わかりやすく解説

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「観心本尊抄」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:32 UTC 版)

日蓮」の記事における「「観心本尊抄」」の解説

文永9年1272年)の初夏日蓮配所塚原三昧堂から国中平野西方位置する一谷(いちのさわ)に移された。それまで日蓮保護してきた守護代本間重連佐渡離れたことに伴う処置であった居住環境という点では改善されたが、念仏者らに命を狙われるという状況はまだ続いていた。この頃門下中に日蓮赦免幕府嘆願しようとする動きがあったが、それを知った日蓮赦免運動厳しく禁じている。 文永10年1273年4月日蓮自身が図顕した文字曼荼羅本尊意義明かした「観心本尊抄」を著した。本抄では、曼荼羅本尊受持して南無妙法蓮華経唱題行ずることが成仏への修行観心)であることを示し日蓮仏教における実践明らかにしている。 「観心本尊抄」では、まず天台大師が『摩訶止観』で説いた一念三千法理草木成仏の義を確認し、紙や木の板に記される曼荼羅が仏の力用を持つ所以を示す。次いで十界互具法理について詳細に論じ妙法一切の仏を成仏させた能生存在である故に妙法受持することによって仏が有する一切功徳譲り受けることができると説いている。 後半では本尊について爾前権教妙法蓮華経法華経迹門・文上本門・文底本門の段階追って説かれる経典序分正宗分流通分にわける三分科経五重わたって論じ五重三段)、文上本門が脱益の法門であるのに対し題目五字南無妙法蓮華経)こそが末法弘通する下種益の法門であることを明らかにしている。 佐渡流罪において日蓮生命危機直面したが、その中で多く著作残して自身思想展開していった。また「佐渡百幅」といわれるように、多く曼荼羅本尊を図顕し門下授与した。さらに、日蓮人格教え触れて佐渡在住人々から阿仏房国府入道中興入道など多く門下生まれている。 文永11年1274年2月執権北条時宗日蓮赦免決定し赦免状3月8日佐渡もたらされた。佐渡流罪処分根拠のない讒言よるものであったことが判明し、また蒙古襲来危機切迫してきたためである。日蓮3月13日佐渡発ち3月26日鎌倉帰還した佐渡在島期間は2年5か月であった

※この「「観心本尊抄」」の解説は、「日蓮」の解説の一部です。
「「観心本尊抄」」を含む「日蓮」の記事については、「日蓮」の概要を参照ください。

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