「解党派」の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/03 03:31 UTC 版)
同時期、獄中にあった三・一五、四・一六両事件の被告の中から、コミンテルンの方針押しつけとそれに対する盲従から脱却して、共産党はいったん解党して出直すべきだとするグループが出現した。このグループは水野成夫が1929年5月、獄中で出した意見書「日本共産党脱党に際して党員諸君に」を端緒に形成され、浅野晃、門屋博、南喜一、田中稔男、河合悦三、是枝恭二ら福本イズムの影響を受けていた幹部たちが結集した。1930年に保釈された彼らは同年6月頃「日本共産党労働者派」(いわゆる解党派)を結成してコミンテルンとの関係断絶と君主制廃止スローガンの放棄を掲げた。田中らは解党派の結成を反党行為とみなし彼らの除名を決議した。
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