「解放(光復)」と連合国の「朝鮮即時独立」否定
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「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事における「「解放(光復)」と連合国の「朝鮮即時独立」否定」の解説
1945年8月15日、玉音放送によって日本の降伏が朝鮮を含む日本全土に伝えられたが、朝鮮においてそれは朝鮮が日本の統治下から離脱することも意味していた。これ以降、朝鮮では日本統治からの離脱を「朝鮮解放」ないし「朝鮮光復」と認識しており、独立後は南北朝鮮の双方が8月15日を祝日に指定している。 玉音放送に先立ち、朝鮮総督府は政務総監の遠藤柳作が治安維持のために朝鮮人への行政権の委譲を決め、朝鮮独立運動家の呂運亨に接触を図っていた。そのため、玉音放送を聞いた呂運亨はその日のうちに安在鴻らとともに朝鮮建国準備委員会(建準)を結成し、組織的な独立準備を進めた。その後、9月2日に日本政府が降伏文書に調印(正式に日本が降伏)したのを受け、呂運亨は李承晩を大統領、自身を副大統領とする朝鮮人民共和国の建国を9月6日に宣言した。だが、建準は独立の方針を巡って右派(民族主義者)と左派(共産主義者)が対立して混乱した上、当時中国で活動をしていた大韓民国臨時政府関係者も「朝鮮の正統な政府」としての自負から朝鮮人民共和国への協力を拒否した。 結局、アメリカ及びソ連は朝鮮人が自主的に樹立した政府に対して一切の政府承認を行わず、9月7日には米軍司令部が朝鮮における軍政実施を宣言し、朝鮮の即時独立は明確に否認された。9月9日の朝鮮総督府の降伏後、北朝鮮でソ連軍(赤軍)が、南朝鮮でアメリカ軍が軍政(占領行政)を開始し、共産主義体制、資本主義体制を各々の支配地域で確立していった。
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