「解放」と連合国の「朝鮮即時独立」否定とは? わかりやすく解説

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「解放(光復)」と連合国の「朝鮮即時独立」否定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 15:25 UTC 版)

連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事における「「解放光復)」と連合国の「朝鮮即時独立否定」の解説

1945年8月15日玉音放送によって日本の降伏朝鮮を含む日本全土伝えられたが、朝鮮においてそれは朝鮮日本の統治下から離脱することも意味していた。これ以降朝鮮では日本統治からの離脱を「朝鮮解放」ないし「朝鮮光復」と認識しており、独立後は南北朝鮮双方8月15日祝日指定している。 玉音放送先立ち朝鮮総督府政務総監遠藤柳作治安維持のために朝鮮人への行政権委譲決め朝鮮独立運動家の呂運亨接触図っていた。そのため、玉音放送聞いた呂運亨その日のうちに安在鴻とともに朝鮮建国準備委員会(建準)を結成し組織的な独立準備進めたその後9月2日日本政府降伏文書調印正式に日本降伏)したのを受け、呂運亨李承晩大統領自身副大統領とする朝鮮人民共和国建国9月6日宣言した。だが、建準は独立方針巡って右派民族主義者)と左派共産主義者)が対立して混乱した上、当時中国活動をしていた大韓民国臨時政府関係者も「朝鮮正統政府としての自負から朝鮮人民共和国への協力拒否した結局アメリカ及びソ連朝鮮人自主的に樹立した政府に対して一切政府承認行わず9月7日には米軍司令部朝鮮における軍政実施を宣言し、朝鮮即時独立明確に否認された。9月9日朝鮮総督府降伏後北朝鮮ソ連軍赤軍)が、南朝鮮アメリカ軍軍政占領行政)を開始し共産主義体制資本主義体制各々支配地域確立していった。

※この「「解放(光復)」と連合国の「朝鮮即時独立」否定」の解説は、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の解説の一部です。
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