「民族主義的逸脱主義」対「大ロシア主義」とは? わかりやすく解説

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「民族主義的逸脱主義」対「大ロシア主義」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:25 UTC 版)

グルジア問題」の記事における「「民族主義的逸脱主義」対「大ロシア主義」」の解説

対立グルジアボリシェヴィキ指導部内に穏健派強硬派生み出した論争スターリンすべての労働者組織労働組合ボリシェヴィキ委員会従属させるのに先立って起こったスターリングルジア・ソビエト政府政治的反発に対して穏健な扱いをし、モスクワからの独立維持していることに満足せず1921年7月グルジア首都トビリシ赴いた労働者会議(workers' assembly)を招集した後、スターリンは、グルジア民族自決主義排除狙ったプログラム大要説明するスピーチ行ったが、聴衆からは野次られ、同僚からは敵意こもった沈黙受け取った。続く数日の間に、スターリンはマハラゼを、信念が不十分である(inadequate firmness)という理由グルジア革命委員会から放逐し代わりにブドゥ・ムディヴァニをあて、またグルジア指導層に「民族主義ヒドラ粉砕せよ」という指令出した。マハラゼ支持者たち(グルジアチェーカー長官Kote Tsintsadzeと部下たちを含む)は同様に解任され、より非情な将校であるKvantaliani、Atabekov、ラヴレンチー・ベリヤ置き換えられた。 しかし一年以内に、スターリンはムディヴァニやその仲間対立状態になった。この諍いの最も重要な点一つは、諸ソビエト共和国統一計画におけるグルジア地位という問題であったスターリン強力な後ろ盾としたセルゴ・オルジョニキーゼ率いモスクワ使節団は、ザカフカース三共和国アルメニアアゼルバイジャングルジアに対して統合した連邦国家としての地位ソビエト連邦加入することを強く要求したのに対しグルジア側はグルジア単独で国としての同一性維持し統一されザカフカース連邦としてではなく直接ソビエト連邦一員となることを望んだスターリン部下たちは、グルジア地元共産党員たちが自己中心的民族主義唱えていることを告発し、彼らに「民族主義的逸脱主義者」("national deviationists")というレッテル貼った。それに対してグルジアは「大ロシアへ盲目的愛国主義」("Great Russian chauvinism")という非難応じたレーニンは突然スターリン立場擁護しザカフカース諸国政治的経済的統合へ支持表明するとともにグルジア指導者たちに「モスクワの弱い物いじめの戦術だ」(Moscow's bullying tactics)という非難退けることを伝えた。 この対立1922年11月頂点達した。このときオルジョニキーゼはムディヴァニグループのメンバーへの物理暴力に及び、言い争っているときに相手一撃加えたグルジア指導者たちはレーニンに対してこのことを抗議し数々暴虐リスト提出したこの中にはオルジョニキーゼが関わった悪名高い事件含まれていた。

※この「「民族主義的逸脱主義」対「大ロシア主義」」の解説は、「グルジア問題」の解説の一部です。
「「民族主義的逸脱主義」対「大ロシア主義」」を含む「グルジア問題」の記事については、「グルジア問題」の概要を参照ください。

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