「民族自治区」の真価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 18:30 UTC 版)
「ハーフンガー」の記事における「「民族自治区」の真価」の解説
1947年に内モンゴル自治区の発足は中国の史上では、初めて漢民族以外の行政地方自治体として誕生した。それは独自通貨、地方憲法、地方軍隊などを有する高度な自治体として、「中華民主共和国連邦」という連邦制の国づくりを目指す構想で発足した。 しかし、1949年に中国共産党が政権基盤を固めた後、内戦に勝った共産党当局にとって、内モンゴル自治区運動がもはや「統一戦線」としての利用価値はなくなり、モンゴル民族に約束した民族自治の実施も棚上げにした。また、中国政府は、1955年に新疆ウイグル自治区を、1965年にチベット自治区をそれぞれの民族自治行政地域として設立したが、これらの「自治区」の実状は内モンゴル自治区と同じく漢民族の行政地域の「省」と殆ど変わりがなく、地方民族自治の意味から遠く離れている。そして、中国内陸から大量な漢民族の移民で、地元民族文化が完全に漢民族文化に圧され、自分の民族文化破滅を不安にする原住民が民族権利を求める動きに対して、中国政府はいつも厳しい弾圧で臨む。パンチェン・ラマ10世が公的な場で常に中国政府へ「自治区」に相応しい民族自治を行うよう訴えていたが、中国政府に無視された。
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