「民族宗教」としてのカトリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 15:08 UTC 版)
「リトアニアの宗教」の記事における「「民族宗教」としてのカトリック」の解説
以上のように、帝政ロシアやソ連支配下においてはカトリック教会がリトアニア人のナショナリズム(民族主義)をかきたてる重要な役割を果たしてきた。これは、文化的・政治的統制を正当化する文化装置であった帝政ロシア時代の正教やソ連時代のイデオロギー(共産主義)に代わるものとして、カトリック教会のような伝統的かつ主流派であるキリスト教が再興され、そして民族としての文化的統合や人々の倫理・道徳の源泉としての役割が果たされてきたことを意味する。カトリック教会は普遍主義的教義を掲げつつ、しかしリトアニア人の土着信仰の要素も取り入れていき(多神教の項も参照)、そしてロシア(人)のものである正教会などとは異なるリトアニア固有の「民族宗教」「国民宗教」としてリトアニア人の民族主義をかき立て、国民を統合してきた。 ソ連時代、宗教活動を弾圧してきた共産政権に抵抗したカトリック教会は、リトアニアの独立回復後は、倫理上の問題から社会主義や自由主義に反対する運動を展開している。独立回復後、宗教活動は自由化されたが、しかし新たに教会建物の修復が問題として浮上し、またソ連政権前までは 1,000 人ほどいたカトリックの聖職者も現在では 600 人に満たなくなったことから、司祭の確保も課題として浮かび上がってきた。こうした状況から、一人の神父が3つや4つの教会をかけもちして日曜礼拝をまわることも珍しくない。
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