「民推協」と「新韓民主党」の誕生とは? わかりやすく解説

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「民推協」と「新韓民主党」(新民党)の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)

韓国における政党史」の記事における「「民推協」と「新韓民主党」(新民党)の誕生」の解説

上道洞系(金泳三派)と東橋洞系(金大中派)の元政治家を中心に結成され在野政治団体である民主化推進協議会民推協)を後ろ盾として1985年1月結成され新韓民主党新民党)は、「鮮明野党」、「大統領直接選挙制の復活」を公約掲げ結成直後2月行われた総選挙にてソウル釜山など都市部躍進し、「官製野党」と揶揄されていた民韓党大きく上回る67議席全国区15議席)を獲得して野党第一党となり、民韓党選挙直後から離党者が続出し議席たらずの群小政党転落した結果第12代国会において新民党103議席有する巨大野党となり、与党民正党に対して対峙する両党制の状況出現した。こうして勢い得た野党勢力は、憲法定められ大統領選挙が行われる1987年照準定めて政府与党対す攻勢強めていった。 表3:12代総選と12代国開院時における党派別議席党派第12代総選(85年2月12日第12代国会開院時(85年5月13日備考議席議席議席議席民主正義党 148 53.6 148 53.6 新韓民主党 67 24.3 103 37.3 選挙後民韓党国民党脱党した當選者大挙入党韓国国民党 20 7.2 20 7.2 當選者3名が同党を脱党新民党入党)、その後4月18日に3名が入党民主韓国党 35 12.7 3 1.1 當選者大部分脱党新民党入党 無所属・その他 6 2.2 2 0.7 新社党、新民主党當選者各1名は新民党入党 出典:국회사무처(大韓民國國會事務處)『대한민국국회 60년사(大韓民國國會60年史)』、587、591頁の記述元に作成第12代国会開院時の議席は、“12國會 開院12代国開院)” (PDF) (東亜日報1985年5月13日1面記事)を参照

※この「「民推協」と「新韓民主党」(新民党)の誕生」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
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