「七生滅賊」の罪業と「七生報国」とは? わかりやすく解説

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「七生滅賊」の罪業と「七生報国」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:59 UTC 版)

楠木正成」の記事における「「七生滅賊」の罪業と「七生報国」」の解説

軍記物語『太平記』流布本16「正成兄弟討死の事」によれば湊川の戦いでの自害直前、正成は弟の正季に、次はどのように生まれ変わりたいか、と尋ねた。正季はからから打ち笑って、「七生まで只同じ人間生れて、朝敵を滅さばやとこそ存じ候へ」(「(極楽などに行くよりも)7度人間生まれ変わって朝敵滅ぼしたい」)と述べた。正成は嬉しそうな表情をして、「罪業深き悪念なれども我もかやうに思ふなり」(「なんとも罪業の深い邪悪な思いだが、私もそう思う」)と同意し、「いざゝらば同じく生を替へて、此本懐達せん」(「さらばだ。私も同じく生まれ変わり、滅賊の本懐を達そう」)と兄弟差し違えた、と物語られる。 こうして七生滅賊という仏教的罪深い思想囚われた正成は、流布本23大森彦七が事」で怨霊として再登場して室町幕府呪い最後仏僧読経する大般若経』の功徳によって調伏されることになる。 しかし、歴史的人物としての正成は、 『法華経』の写経(『今田文書』(湊川神社宝物))や、その裏書からわかるように、仏教への帰依篤く、また深い知識を持つ人物だった。したがって『太平記』描かれる七生滅賊」の物語は、本来の正成の人となりとは反している[要出典]。 上横手雅敬楠木正成(二)――天下、君を背きたてまつる」(『太平記世界』(日本放送出版協会1987年)や、中村格天皇制教育と正成像――『幼学網要』を中心に」(『日本文学39巻1号、1990年)および今井正之助 などの研究では、本来、『太平記』の「七生滅賊」(あるいは「七生滅敵」)は中世的な怨念観を表現するための呪いの言葉であり、後段大森彦七伝説と組で考えるべき物語であったとされ、数百年後、近代入り国家への忠誠心を示す「七生報国」という言葉に置き換わったとみられている。しかしながら大正時代至っても同5年1916年)に、大正天皇は『楠木正成』と題した七言絶句御製にて「七生報国ではなく死に臨んで七生滅賊を期す 誠忠大節斯の人に属す」と表現し、その徳を讃えている。 「七生報国」の語の用例は、遅くとも萬朝報明治37年1904年4月3日に、海軍軍人広瀬武夫辞世の句として「七生報国 一死心堅 再期成功 含笑上船」という漢詩載せられたことまで遡ることができる。

※この「「七生滅賊」の罪業と「七生報国」」の解説は、「楠木正成」の解説の一部です。
「「七生滅賊」の罪業と「七生報国」」を含む「楠木正成」の記事については、「楠木正成」の概要を参照ください。

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