「七宝」の用例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 23:32 UTC 版)
七宝器を指して「七宝」という言葉が使われた初例としては、永享九年(1437年)十月二十一日から二十六日までに後花園天皇が六代将軍足利義教の室町殿へ行幸したさいの座敷飾りの記録である『室町殿行幸御餝記』(能阿弥筆)がある。 この室町殿行幸御鱗記の、享禄三年(1530年)の書写本によれば、室町殿の建物のうち新造御会所と、御泉殿より東向御縁までの二棟が用いられ、二十六部屋の床・棚・書院・違棚に、全て唐絵・唐物を飾ったと記されている。このうち、橋立之御間の例を見ると、以下に示すように、多くの唐物に交じって花瓶・鶴頸・楽器・方盆・盆・水入・香爐・香合・茶碗・香匙など、実に多くの七宝器が飾り付けられたとある。 『牧彩筆布袋・船主・漁夫の三幅、三具足、象牙卓、菱蘭の香合、床には李辿筆犬図二幅対、象牙棚に七宝花瓶・七宝鶴頸・七宝薬器を劇紅等の盆にのせ、書院には硯・筆乗・象牙筆・墨挟・刀子・珊瑚鋏・牛の水入・翰盤・劇紅硯屏・夏圭軸物・七宝方盆・印籠・七宝盆・七宝花瓶一対・盆を飾り、喚鐘・柱飾の鏡を懸け、胡銅・堆紅の卓を置く。達棚には台に油滴をのせて堆紅の盆に置き、壷や七宝の隻花瓶を盆に据え、劇紅の食籠を飾った。』
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