「丁」と「町」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:37 UTC 版)
1600年、伊達政宗によって仙台(仙臺)開府がなされた。城下町の仙台は、仙台城(青葉城)の大手門を西の基点とした東西軸の大町と、奥州街道を兼ねる南北軸の国分町を中心に碁盤目状の町割りがされた。大町と国分町とが交わる十字路は芭蕉の辻と呼ばれ、仙台城下の中心商業地として栄えた。 数学のxy座標平面に例えると、x軸が「大町」、y軸が「国分町」、x軸とy軸の交点である原点Oが「芭蕉の辻」となっている。 城下町の町割りにおいては、以下のような命名の法則がある(丁と町の使い分けに関しては、和歌山城下町でも同様)。 「○○丁」(ちょう)… 侍が住む道。侍町。 「○○町」(まち)… 町人が住む道。町人町。 「○○小路」(こうじ)… 主に寺社を配置した道 「○○通」(とおり)… 「○○に繋がる道」との意味。○○が道の場合は、その道と直交する。 具体的には、侍町の名掛丁や東二番丁には丁を付け、他方、町人町の国分町や大町などには町を付けた。現在の一番町は「町」となっているが、藩政時代には「東一番丁」と書き、侍町であった。現在も通りの名称は「東一番丁通」である。中心部商店街となった現在の東一番丁通の周辺は、商業の町として「一番町」(読み方は「ちょう」のまま)という地名になった。また、「国分町」は藩政時代には「こっぽんまち」と読んでいたが、現在は「こくぶんちょう」という読み方が主流である(参照)。その他、「○○通」の例には、定禅寺に繋がる定禅寺通、北目町に繋がる(直交する)北目町通、南町に繋がる(直交する)南町通などがある。 なお、北九番丁、北十番丁、および東十番丁は、仙台市の「歴史的町名等活用推進事業」の路線には指定されていないが、地名や商店名として利用されている。(参考)
※この「「丁」と「町」」の解説は、「仙台市都心部」の解説の一部です。
「「丁」と「町」」を含む「仙台市都心部」の記事については、「仙台市都心部」の概要を参照ください。
- 「丁」と「町」のページへのリンク