「ミス○○」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 20:08 UTC 版)
英語において、未婚女性の姓に冠する敬称 Miss(ミス)は、ミス・アメリカ(1921年開始)のように地名・職業名・年号などに冠するとミスコンテスト(美人コンクール)の優勝者の意味にもなる。しかし、昭和初期の日本では、ミスコンテストとは関係なく、レーベル名にミスを冠した歌手や地名にミスを冠した新民謡(流行歌)があった。 1931年(昭和6年)、日本で録音された最初のラテン音楽「南京豆売り」(ビクター)が発売されるが、同曲は覆面歌手の鉄仮面こと作間毅が歌った。1932年(昭和7年)になると、覆面歌手の金色仮面(ゴールデン・マスク)こと小林千代子が「ミス東京」(ビクター)を発売し、大和屋花一は「ミス南地」(コロムビア)を発売した。ビクターの覆面歌手が大いに注目され人気を博したことから、コロムビアも1933年(昭和8年)に覆面歌手のミス・コロムビアこと松原操を、タイヘイレコードも1935年(昭和10年)に覆面歌手のミス・タイヘイこと奥田英子をデビューさせた。1936年(昭和11年)春にコロムビア専属となった二葉あき子は、同年『ミス仙台』、翌1937年(昭和12年)には「ミス東北」と「ミス秋田」(いずれもコロムビア)を発売している。 一方、仙台市の(特に仙台七夕まつりの)観光振興のための親善大使を、仙台商工会議所が公募してミスコンテストのような形式で選出してきた。戦後占領期が終わった1953年(昭和28年)から20年間は、「ミス織姫」「ミス七夕」「ミス観光」といった名称で未婚女性が選出された。オイルショックを機に中断されていたが、仙台市が政令指定都市移行に向けて動き出した1986年(昭和61年)に「ミス仙台」との名称で復活した。ジェンダーフリー等を意識して、2004年(平成16年)からは「せんだい・杜の都親善大使」との名称になり、応募資格に婚姻歴制限や性別制限が無くなった。
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