「アール・ブリュット」概念の誕生
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「アウトサイダー・アート」の記事における「「アール・ブリュット」概念の誕生」の解説
「アール・ブリュット」の概念を提唱し、アール・ブリュット作品の大半を発見したのは、フランスの画家であるジャン・デュビュッフェである。デュビュッフェは1923年にハイデルベルク大学付属精神病院の医師ハンス・プリンツホルンの著書『精神病者の芸術性』を入手しており、1945年にはこの著書にあるような患者や作品を探してフランスやスイスの精神病院を訪ねた。そうして、アドルフ・ヴェルフリの遺作や、アロイーズ・コルバス、ルイ・ステールに出会った。それまで「精神病患者の芸術」、「精神分裂病の芸術」などと呼ばれることが多かった作品を医学の分野から切り離すために「アール・ブリュット」という造語を用いた。デュビュッフェは、精神の深淵の衝動が生のままむき出しに表出され、美しい造形に対する反文化的な造形だと考えていた。19世紀から1920年代までは、精神科医に患者の作品が認識されだした時期であり、その後1945年からデュビュッフェはそうした作品が芸術だと認知されるよう取り組んだ。1947年にはパリに「アール・ブリュット館」をつくり、アール・ブリュット協会を設立した。1949年には大規模なアール・ブリュット展を開催している。デュビュッフェのコレクションは1967年に、パリ装飾美術館(フランス語版)にて初めて展示された。これをもってアウトサイダー・アートが公的に認知されたとされる。また、1976年には、スイスのローザンヌに「アール・ブリュット・コレクション」を開館させた。 デュビュッフェの死後、一般にも認知されるようになり精神医学は関係なくなり、インサイドに取り込まれようとしている。19世紀末からの古典期は患者の作品が集められたが、(1950年代に)治療法が変わり抗精神病薬が登場し入院期間が短期化されると、精神病院からの作品の供給は途絶えてこそいないが、かなり変化した。(日本では社会的入院の問題が残っており事情が異なる)
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