「はまかぜ」の誕生
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「はまかぜ (列車)」の記事における「「はまかぜ」の誕生」の解説
1972年12月当時の編成図はまかぜ ← 姫路 大阪・鳥取・倉吉 → 1 2 3 4 5 6 7 指 G D 指 指 指 指 1 2 3 4 5 6 指 G 指 指 自 自 凡例 G=グリーン車座席指定席 D=食堂車 指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 1972年(昭和47年)3月15日:新大阪駅・大阪駅 - 鳥取駅・倉吉駅間(播但線経由)で特急「はまかぜ」2往復が運転開始。「はまかぜ」の播但線内は無停車で、大阪・神戸・姫路 - 但馬地方・鳥取県の輸送を担当する一方、播但線内の需要は急行「但馬」が担当していた。 停車駅:新大阪駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 明石駅 - 姫路駅 - 和田山駅 - 八鹿駅 - 江原駅 - 豊岡駅 - 城崎駅 - 浜坂駅 - 鳥取駅 - 倉吉駅 - 米子駅 1975年(昭和50年)3月10日:「はまかぜ」の倉吉駅発着列車が米子駅発着に変更。(「おき」とキハ80系を共通運用するため)食堂車の連結を廃止。 1976年(昭和51年)10月1日:「はまかぜ」の米子駅発着列車を再び倉吉駅発着に変更。(「つばさ」電車化で余剰になったキハ181系を「おき」で運用させるため) 1982年(昭和57年)7月1日:「やくも」の電車化によって余剰になったキハ181系が運用を開始。 1985年(昭和60年)3月14日:「はまかぜ」の全列車が鳥取駅発着になる。 1986年(昭和61年)11月1日:福知山線電化によるダイヤ改正のため、次のように変更される。「はまかぜ」1往復が再び倉吉駅発着になる。 「まつかぜ」の運転を終了させる代替として、大阪駅 - 浜坂駅間(下りは豊岡駅から普通列車)運転の「但馬」1往復の格上げも兼ね、米子駅発着列車を1往復運行開始(米子駅発着は1976年9月以来の設定)して「はまかぜ」は3往復となり、鳥取駅・米子駅発着がそれぞれ1往復となる。大阪駅 - 姫路駅間で120km/h運転を開始し、スピードアップが図られる。 「但馬」は大阪駅 - 豊岡駅間と姫路駅 - 浜坂駅間の2往復になる。 1991年(平成3年)夏季:海水浴列車として、快速「マリン但馬」が大阪駅 - 鳥取駅間で運転。客車にはサロンカーなにわ、電化区間(大阪駅 - 姫路駅間)での機関車にはEF58 150が使用された。 1993年(平成5年)3月18日:「はまかぜ」の全列車が大阪駅発着になる。 1994年(平成6年)12月3日:智頭急行線の開業により特急「スーパーはくと」・「はくと」が運転を開始し、「はまかぜ」の運転区間・本数は大阪駅 - 浜坂駅・鳥取駅間のそれぞれ1往復になって、阪神 - 兵庫県北西部間の直通に特化した列車になる。 1995年(平成7年)1月17日 - 3月31日:阪神・淡路大震災の影響により全列車が運休となった。
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