ぶん‐さい【文才】
もん‐ざい【文才】
文才
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:21 UTC 版)
日記については、浅草でデビューした頃から死の直前まで休み無く綴られており、ある俳優の一代記としてだけではなく、日本喜劇史・日本昭和風俗史においても、貴重かつ重要な資料となっている。これらの日記については、一部散逸したものを除き、『古川ロッパ昭和日記』として出版されている。 演劇批評の分野では『劇書ノート』という本を書いたり、『演劇界』などにも寄稿した。また、忙しい合間を縫って榎本健一らライバルの舞台やレビュー・歌舞伎・新派・小芝居・映画を観に出かけ、夏目漱石・永井荷風・チェーホフなどの文学書や鶴屋南北・河竹黙阿弥などの脚本、歌舞伎俳優の芸談、ストリンドベリなどの演劇関係の専門書を自身の創作の参考としていた。その姿勢は晩年まで続いており、石原慎太郎の『太陽の季節』や、石原裕次郎の映画も評価している。 舞台での演技も絶えず工夫を凝らすことを忘れず、方言も本格的に学んでおり、特に東北弁の使い方が絶品だった。第二次世界大戦の終戦後は、イギリス軍やアメリカ軍の占領の影響からか、英会話を身につけようと英和辞典をまるごと暗記しようとした。暗記したページは、丸めて食べていったとの逸話がある。 ロッパのネーミングのセンスは、寄席芸の「形態模写」を言い換えた「声帯模写」(せいたい もしゃ)という新語や、「ハリキる」「イカす」など、のちに日本語の口語会話に定着した造語からも伺える。またダジャレの名手で、「菊池寛」をもじって「クチキカン」、「ユージン・オニール」と聞いて「オニールとは君の友だね。」と即興で答えるなどの話が残されている。
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