PE'Z 概要

PE'Z

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 09:11 UTC 版)

概要

ジャズをベースにしながらもラテン音楽ロックなど多様な音楽を貪欲に取り入れたサウンドと緊張感と躍動感を兼ね備えた圧倒的なライブパフォーマンスで「侍ジャズバンド」と評される[1]

東京渋谷でのストリート・ライブでは時に1000人以上の観客を集めてデビュー前から話題となり瞬く間にインディーズ・チャートを席巻、「インストはメジャー・シーンでは売れない」という常識を覆してメジャー・デビューを果たす[1][2]。日本に留まらず世界に向けて音楽を発信し、ヨーロッパ韓国台湾などでもCDをリリースしている[3]

著作権にまつわる裁判としては日本で著名な大地讃頌事件の当事者としても知られる(詳しくは当該項参照)。

来歴

1999年、Ohyama"B.M.W"Wataruを中心に結成・活動開始。初ライブは1999年10月15日。2000年より渋谷の路上を中心に活動、翌2001年には年40回ものストリートライブを行なって毎回100人以上の動員を呼び話題となる。同年夏、「フジロックフェスティバル'01」FIELD OF HEAVENに出演し、その名を全国的に広める。[4]

2001年、初のミニアルバム3枚をインディーズレーベルのapart.RECORDSからリリース[1]

2002年東芝EMI/Virgin Musicと契約。ミニアルバム『Akatsuki』でメジャー・デビュー[1]。1stスタジオ・アルバム『九月の空-KUGATSU NO SORA-』が器楽曲バンドとしてオリコン10位を記録[5]

2003年、器楽曲バンドとして「第17回日本ゴールドディスク大賞」“ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー”を受賞。全国各地の野外フェス等への出演を経て全国区の知名度を獲得[1]

2004年1月、韓国で路上ライブを決行し大きな話題を呼ぶ[6]

2005年オランダに本社を置くロードランナー・レコードに移籍して本格的に世界進出を果たし、イギリスマンチェスターロンドン)、オランダ(アムステルダム)にてライブを敢行[7]。同年、日本全国45公演のツアーを敢行。ツアーファイナルは韓国ソウルにて行われた[6]

2006年3月、初のUSツアー(全9公演)を行う[3]カナダ「カナディアンミュージックフェスティバル」「サウス・バイ・サウスウエスト」に出演。

2008年2月、全国展開する雑貨屋ヴィレッジヴァンガード (書籍・雑貨店)にてジャズのスタンダードを独自のアレンジでカヴァーした限定CD『黒船のジャズ -SAMURAI MEETS THE ENEMY-』をリリース、4月にはTBS系列筑紫哲也 NEWS23」に生出演[5]。同年、約3年ぶりに国内レーベル(デフスターレコーズ)へ移籍[注 1]

2011年9月、アルバム『向日葵-Himawari』を全曲無料配信する“合法ダウンロード”企画を実施する。

2012年2月に無料配信アルバム第2弾『OH! YEAH!PARTY!!』を、同年12月に第3弾となる『JumpUP!』を発表。

解散

2014年、結成15周年のアニバーサリーイヤーという事もあって5月に短期間で東京のライブハウス13ヵ所を一気に駆け抜けるツアー、7月には約10年ぶりとなる東京新宿の歌舞伎町でのワンマンライブなどハイペースなコンサート活動を行うものの、12月1日、PE'Zオフィシャルサイトにて翌2015年いっぱいでの解散を発表。

2015年12月19日、ラストライブ「EN-MUSUBI 2015 FINAL〜おどらにゃそんそん〜」を東京・昭和女子大学人見記念講堂にて開催し解散した。その模様は動画サイトのUstreamを通して完全生放送で中継された[9]

メンバー

Ohyama"B.M.W"Wataru
Kadota"JAW"Kousuke
ヒイズミマサユ機
Ohyama "B.M.W" Wataru(オオヤマ・ビーエムダブリュー・ワタル、1975年11月6日 - )(48歳)
トランペット担当
Kadota "JAW" Kousuke(カドタ・ジョー・コウスケ、1976年5月27日 - )(47歳)
テナー・サクソフォーン担当。
  • 本名は、門田 晃介(かどた こうすけ)。東京都日野市出身[注 2]、A型、177cm。
  • 芸名の「JAW」はという意味。バンド内のノリで「お前、猪木の若い頃に似てるから、ニックネームは顎で行こうぜ」ということで命名された[11]
  • 国立音楽大学卒業。
  • 実家は愛媛のフランス料理店で、ライブではしばしば冗談で門田本人が宣伝することもあった。
  • 「Mosquito-38」「みずいろの雨」「アケビ」「ヒルビー」「パラノイア」などではソプラノサックスも演奏。「Peach〜Ashihara Story〜」ではアルトサックスも演奏するなど器用さを見せた。
  • 趣味は自転車で、ロードバイクを所有。2006年にはツール・ド・北海道の市民大会に出場し19位の成績を収めた。
  • 彼をリーダーに、Yasei Collectiveの松下マサナオ(ドラムス)と中西道彦(ベース)、宮川純(キーボード)の4人でBARBを結成[11][12]
Nirehara Masahiro(ニレハラ マサヒロ、1977年10月8日 - )(46歳)
コントラバス担当。
  • 新潟県出身、A型、171cm。
  • インディーズの時の芸名は、ニレハラ "ハトバスキャノン" マサヒロ。曲名の案を「ハトバスキャノン」と出したことが由来。
  • 早稲田大学理工学部情報学科卒業、在学時はジャズ研(Swing & Jazz Club)に所属し部長を務めていた。
  • 写真家の顔も持つ。
  • プログラミング・映像Flash編集もこなし、メンバーのHP「PE-Z.JP」も製作。
  • 使用しているウッドベースはエマニュエル・ウィルファー製。
  • 特技は妄想(メンバー・本人談)。
  • 2007年10月より、NORTH WAVEレギュラーラジオ番組『MARMALADE JAM』でDJを担当。
  • 解散後は主に2012年に結成したH ZETTRIOのメンバーとして活動。
ヒイズミマサユ機(ヒイズミマサユキ、1978年2月12日 - )(46歳)
ピアノキーボード担当。
  • 兵庫県神戸市出身、O型、171cm。
  • 中学2年の頃、自作の曲「ILLUSION」でジュニアエレクトーンフェスティバル'91全日本大会銅賞入賞[13]
  • 1995年「G7情報通信関係閣僚会議」(Global Information Infrastructureジュニアサミット)に参加。世界各国から41名で会議。
  • 国立音楽大学音楽学部作曲科卒業。
  • 2004年から2005年7月1日まで椎名林檎が結成したバンド「東京事変」の第一期活動でH是都M(エイチゼットエム)として参加。
  • 2007年1月に「5+2=11」をリリースし、メジャー・デビューしたH ZETT Mと同一人物と言われている。
  • ピスタチオ・ボーイズでは、HZMの名義でドラムを叩いている。
  • 現在[いつ?]、愛機はKORGのKROSS(PS60より乗り換え)。
  • 解散後はソロ活動の他、2012年に結成したH ZETTRIOのメンバーとして活動。
航(こう、1971年2月21日 - )(53歳)
ドラム担当。
  • 東京出身、AB型、173cm。
  • ピスタチオ・ボーイズでは、ゴンザレス名義で活動。
  • ペットの犬の名は「ぴーちゃん」で、日々のHeyJoke!(映像日記)にもたびたび登場。
  • 使っているドラムはSONORのもの。過去にはTAMAのセットも使用していた。シンバルは唯一の日本国産シンバルである「小出シンバル」を主に使用、たまにジルジャン等も使う。セッティングはバスドラム×1、タム×1、フロアタム×1、スネアドラム×1、ハイハット×1、クラッシュ×1、クラッシュライド×1。シンプルなセッティング。ドラムスティックはVATERのCONCERT。スネアはSONORの"earth"を、それまで使用していたものが韓国ツアーの最中壊れて以来愛用している。
  • 解散後は主に2012年に結成したH ZETTRIOのメンバーとして活動。

注釈

  1. ^ 海外へ拠点を移す前にも一度、同社への移籍話はあったものの、そのときは双方のタイミングが合わず、断念している[8]
  2. ^ PE'Zでの活動では長年実家があったために愛媛県松山市出身としてきたが、これは両親の出身地および当時の転居先が松山だったのでそうしたという経緯があり、実際にそこで生まれ育ったというわけではなく、本人は高校卒業まで東京の日野で育った。
  3. ^ 収録曲「大地讃頌」の著作権法上の問題(大地讃頌事件)で一旦出荷停止に。2004年8月4日に再編集され発売。
  4. ^ ヴィレッジヴァンガード×PE'Z独占商品
  5. ^ Inter FM邦楽初のヘビーローテーション。

出典

  1. ^ a b c d e f PE'Z BIOGRAPHY”. PE'Z Official HomePage. 2017年6月17日閲覧。
  2. ^ いじめ社会をふっ飛ばす音楽物語。pe'zmokuにアクセス殺到”. BARKS (2007年12月19日). 2017年6月17日閲覧。
  3. ^ a b PE'Zのプロフィール”. オリコン. 2017年6月17日閲覧。
  4. ^ PE'Z:プロフィール”. BARKS. 2017年6月17日閲覧。
  5. ^ a b 今夜、PE'Zが『NEWS 23』に生出演”. BARKS (2008年4月11日). 2017年6月17日閲覧。
  6. ^ a b PE'Z プロフィール”. 僕らの音楽フジテレビ (2005年10月21日). 2017年6月17日閲覧。
  7. ^ 「これからもっとワクワクする活動ができる!」――アルバム『千歳鳥~CHITOSEDORI~』インタヴュー 後半”. BARKS (2005年11月15日). 2017年6月17日閲覧。
  8. ^ a b 3年ぶりに国内レーベルへ移籍、PE'Zがソニーに襲来?”. BARKS (2008年4月15日). 2017年6月17日閲覧。
  9. ^ PE'Z 16年間の活動終える、ラストライブは急きょ動画中継”. スポニチアネックス (2015年12月22日). 2015年12月22日閲覧。
  10. ^ a b c 自由になんでもできるのが会社だった──トランペッター、大山渉”. WIRED (2016年6月16日). 2017年6月17日閲覧。
  11. ^ a b サックス奏者 門田”JAW”晃介さん インタビュー”. ウェブマガジン タシナム、蝶道社 (2017年5月8日). 2017年6月17日閲覧。
  12. ^ 門田“JAW”晃介がPE'Zの解散からBARBとして踏み出した理由とは―類家心平と語る、現代のジャズメンが追い求めるべき表現”. Mikki (2016年10月4日). 2017年6月17日閲覧。
  13. ^ (財)ヤマハ音楽振興会HPより[1]
  14. ^ “天使のダミ声”木村充揮がPE'Z、押尾コータローとTV共演”. 音楽ナタリー (2011年5月2日). 2017年6月17日閲覧。
  15. ^ PE'Z、シンディ・ローパーと共演した番組、もうすぐオンエア”. BARKS (2005年11月17日). 2017年6月17日閲覧。
  16. ^ 平井堅とPE'Zが『僕らの音楽』でコラボ!”. RO69 (2008年3月6日). 2017年6月17日閲覧。
  17. ^ 椎名林檎「SONGS」第二夜で松尾スズキと同郷対談”. 音楽ナタリー (2009年6月30日). 2017年6月17日閲覧。
  18. ^ PE'Zの新ユニット!? 謎のアーティスト“pe'zmoku”って何?”. BARKS (2007年12月7日). 2017年6月17日閲覧。
  19. ^ PE'Z×ネイト・ジェイムス、リリースに先駆けPV公開”. BARKS (2006年9月13日). 2017年6月17日閲覧。



PEZ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 14:17 UTC 版)

PEZ(ペズ、ペッツ)とは、1927年オーストリアでうまれた[1]ペパーミント風味のキャンディー錠菓)である。 語源はドイツ語Pfefferminz(ペパーミント)の略から。


  1. ^ a b 綱島理友 『お菓子帖』マガジンハウス、1991年。ISBN 4-8387-0256-6 


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