くりはら田園鉄道 くりはら田園鉄道の概要

くりはら田園鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 07:45 UTC 版)

くりはら田園鉄道株式会社
Kurihara Electric Railway Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 くりでん
本社所在地 日本
989-5501
宮城県栗原市若柳川北塚の越11
設立 1918年12月15日(栗原軌道株式会社)
業種 陸運業
事業内容 鉄道事業
代表者 代表清算人 高橋勝美
資本金 2億4600万円
主要株主 栗原市(56.01パーセント)
登米市(10.82パーセント)
宮城県(10.16パーセント)他
特記事項:2007年4月1日解散。2010年8月21日清算終了。
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本項では、その前身に当たる栗原電鉄などの事業者についても解説する。

沿革

「くりでん」の歴史は、栗原軌道が設立され、1921年石越駅 - 沢辺駅間が開業して幕を開けた。この当時の路線は、非電化軌間762 mmの典型的な軽便鉄道の様相を呈していたが、路線は軌道法に準拠していた。開業の1年後には岩ヶ崎(後の栗駒駅)までの延伸を行った。

栗原軌道は、1941年に栗原鉄道と社名を変更し、翌年に軌道法ではなく地方鉄道法準拠に変更し、細倉鉱山駅までの延伸を行った。これ以後細倉鉱山で産出した鉱石が、主要な貨物となった。第2次世界大戦後の1950年代には、電化および1067 mmへの改軌を相次いで実行し、電化に合わせて1955年には社名も栗原電鉄に改めた。

1958年に栗原電鉄は、経営難に陥っていた陸前乗合自動車に資本参加し、1964年には同社と合併し、社名を宮城中央交通に変更した。しかし、宮城県内でバス事業を統合する動きが起こり、それに応じる形で1969年にバス部門を宮城中央バスとして分離して、鉄道部門は栗原電鉄に戻った。そして当初の計画通り、宮城中央バスは、宮城バス仙南交通と対等合併を行い、バス部門は宮城交通となった(合併以後の事象は当該記事を参照)。

元の鞘に収まった栗原電鉄だが、自家用車・トラックの普及に伴う旅客・貨物の減少により1970年頃から赤字経営に陥り、三菱金属(現:三菱マテリアル)の支援で、辛うじて経営が成り立っていた。しかし、円高のあおりで、1986年に細倉鉱山が閉山して貨物輸送が廃止され、さらに閉山に伴って過疎化が加速した結果、栗原電鉄の経営は急速に悪化した。1993年の欠損補助制度の打ち切りを受けて[1]、三菱マテリアル(三菱鉱業セメントと合併し、社名変更した)が地元に路線廃止を打診した際に、沿線自治体は鉄道での存続を希望したため、栗原電鉄は沿線5町と宮交栗駒バスなどが出資する第三セクター鉄道への移行が決まった。この際に三菱マテリアルは、株式の譲渡に加え、累計赤字の負担と駅舎の改築費の提供を行い、経営から手を引いた。

1995年4月1日には、施設老朽化に伴う電気運転廃止により、社名をくりはら田園鉄道、路線名をくりはら田園鉄道線に改称した。しかし、その後も輸送人員は減り続け、1997年頃には年間赤字額が6千万円前後に膨れ上がった。このような状況で、欠損額の3/4を負担してきた宮城県が2001年1月に、赤字補填の補助金支給を2001年度からの3年間に限ると決定し、沿線自治体に対応を決めるよう要請した。それを受けて自治体側では、2003年4月の1か月間に限って、定期乗車券を含めた運賃を半額にするなど乗客の増加を狙った交通実験を行ったが、目標には達しなかった。

2003年10月に、宮城県は2006年4月の廃止を視野に、打ち切る予定だった補助金を、あと2年間に限りそれまでの半額で支給を継続すると自治体側に伝えた。2003年12月に、2006年度までは鉄道の運行を継続し、2007年4月にバス転換する方針が決定され、2004年6月の株主総会で鉄道の廃止が正式決定した。こうして2007年4月1日付でくりはら田園鉄道線が廃止され、会社は解散が決まった。その後2010年8月21日付で会社の清算が終了し、「くりでん」はその歴史に幕を閉じた。

2012年現在、駅舎などの建物は若柳駅、細倉マインパーク前駅を除き撤去されたが、線路はほぼ廃線時のまま残されている。また、2010年6月13日から若柳駅では動態保存が行われ、かつてくりはら田園鉄道で走っていた車両が保存されている。詳細は若柳駅のページを参照。

年表

路線

若柳・谷地畑間(2005年9月撮影)
杉橋駅付近(2006年8月撮影)

  1. ^ “栗原、野上電鉄打ち切り 中小民鉄欠損助成”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年2月17日) 
  2. ^ 杉崎行恭『百駅停車 股裂き駅にも停まります』新潮社、2013年4月25日、183頁。ISBN 978-4-10-334011-9 
  3. ^ (社)日本民営鉄道協会 (PDF)
  4. ^ a b c 寺田裕一『私鉄気動車30年JTBパブリッシング、2006年、42頁。ISBN 4-533-06532-5 
  5. ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』第211号、40頁。 
  6. ^ a b c 保存車両は再整備のため昨年12月中頃に解体されました
  7. ^ 杉田肇「西武鉄道の電気機関車」『鉄道ピクトリアル』第560号、鉄道図書刊行会、1992年5月、240-241頁。 
  8. ^ a b 寺田裕一『私鉄機関車30年』JTBパブリッシング、2005年、36,37,165頁。 
  9. ^ a b c d e f g 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』JTB、2001年、43-45頁。ISBN 4-533-03982-0 
  10. ^ 『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』、47頁。 
  11. ^ 鉄道ファン』第426号、交友社、1996年10月、106-107頁。 


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